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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

【妖しい落葉の円舞曲 DANCE COMPANY Nomade~s「どこか辺りで vol.2」】

日下 四郎 [2009.12/21 updated]
 どこからともなく舞い込んだ落葉たちが、60分にわたって繰り広げる美しい憂愁のメロディアス・ファンタジー。ダンスカンパニー・ノマド~sが今年5月に、大塚にある廃校予定の某小学校の体育館敷地で、ワークショップ・パフォーマンスとしてスタートさせた「どこか辺りでーsomewhere around」シリーズのvol.2だ。
 この種のヴァリアントは、カンパニー主宰者である池宮中夫が好んでとる創作形体で、ここ数年はやはり「GESICHT und GESCHICHTE」がその主題となった。そしてそこから“不可視の窓”とか“橋の思惟”など、何本かの秀作がほぼ3年間にまたがって誕生した。
 ただ気になるのはその際に用いられているWORK in PROGRESSという言葉の概念で、これは(もちろんご存じだろうが)普通〔進行中の作品〕、場合によっては〔未完成の作品〕という意味で使われる。したがって前作を受けて少しずつ手直しの行われる作業が後に続くのが常識となっている。いわば一種のトライアル&エラー、決定版に至る途次作品ということ。
 しかし常に創作欲旺盛な集団ノマド~sのメンバーにとっては、そんなプロセスはむしろまだるっこしく、(おそらく)改修作に取り掛かっている最中に、各所に新規のアイディアなりイマジネーションが頭をもたげて、むしろ新しいといっていい作品が生まれるのかもしれない。公開の場所もスタジオ、銀行跡のスペース、公園、埠頭とさまざまで、その環境の点からだけでも、ヴァラエティに富んだ作品が生まれるのだと考えれば、ルール違反はむしろ結果オーライなのかもしれないが…。
 今回の「どこか辺りで」の場合も、最初から“ワークインプログレス”をかかげて出発した。だから初公開の5月から、ほぼ半年ぶりにあたるこのvol.2では、果たしてどんな発展がみられるのかと、あれこれ想像しながら出向いた。しかし目にした結果は、やはり今期もいさぎよく予想を裏切って、落葉を擬人化したある種の風物詩的なコンテンツで成り立つ中身の仕上がりとなった。しかしその身体表現のスタイルに見る捉え方と切り口についていえば、ここは断然他と一線を画するノマド独自の表現があり、自然のふところに食い込む感性の鋭さには、観る者を陶酔させるに足る、ユニークなメソードで成立していた。
 上演の場所は東大農学部と隣り合ったさるビル内のレクリエーション・ホール。5間四方の空間の一辺に、客席用の椅子が並べられ、無造作にフロアに放置された2本の木杭のまわりには、ブナ科の乾いた落葉がランダムに散らばっている。さらにガラス窓に続く左右の壁ぎわには、キャンバスに描かれた油絵具の樹木に似て、大きな褐色の油紙が、積み上げられた家具類の上面に広がっている。ただそれだけのシンプルで、一見間に合わせのような、ごく簡素なセットだ。
 しかし時間になって、ここへ頭にターバンのような頭巾を巻き、白っぽいレース状の衣装にくるまれたダンサー、すなわち落葉のフェアリーたちが入ってくると、俄然全体に生気が立ち込め、ホール全体が息づきはじめる。空間のすぐ裏には、日ごろ彼女らの水浴びをする池のひとつがあるのかも。そして樹の陰からのぞき見て、地上に這い出る若き牧神の姿も。タッチひとつで巧まず現出してみせた、造型アーティスト池宮中夫の美意識の産物だ。
 一方、妖精界の女王をもって任ずるダンサー熊谷乃理子の振付もよかった。グロテスクとまでとは言わないが、いつもは魁異に近いノマド式の視覚美とトーンをあわせるかのように、いかにも奇態でアクの強い動きが前面に出るノマド式ダンサーの動きに、今回はいわばアポロ的な優美が常に前面に押し出され、従来の過剰なまでのあくどさが見あたらない。一見バレエかと見違えそうなフェミニテ(女性らしさ)に満ちたアポロ的静謐の世界でもあった。
 しかし少し目を凝らせば、田嶋麻紀、岩崎一恵ら5人の妖精たちにみる四肢の動きや腰のひねりには、ダンス・クラシックのメソードとは全く違う、独自の表現が随所に生かされていることにすぐ気がつくだろう。それは一般に土方巽を開祖とする、あのブトー(Butoh)特有の異形・魁異を、ノマドが臆せず自分たちの専有スタイルに美化した、日本人の身体のための、もうひとつの、新しい宇宙だといってもいい。
 誰が見ても楽しめる陽性でポシティブな内容の小傑作が誕生した。それはこれまでカンパニー・ノマドが見せた、おそらく最良の部分が抽出され、組み立てられた結果の産物である。つまり池宮と熊谷という2つの核が、ほぼ理想的なバランスを保ちながら融合を果たしたケースの一例だと思える。すなわち質の面でも明らかに一段と前回を上回り前進(プログレス)した作品で、この点立派にワークインプログレス(向上した作品)と形容して何ら差し支えない成果だと、これはすこしも皮肉ではなくあらためてはっきり肯定しておこう。
 ここで忘れてはならないのが、日ごろ研磨を重ねているノマド式のワークショップ“ダンスシード(Dance Seed)”のプラクテスだ。池宮・熊谷を中核に、オリジナルな日本人の身体表現を求めて、毎月丹念な創作実習を続け、それをお互いが見せあってきびしく批評し論考する過程の記録を、半年ごとに編集した小冊子『ダンスシード通信』として発行、討論の公開テキストに用いている。自らの手で播かれた種子(シード)が、文字どおり舞台上の成果に反映して、次第に実を結んでいくのだ。
 家具を用いた簡素なセット。モノとカラダの関係。手作りの衣装。四肢と躯のポテンシャルへの探求――、それらが今目の前で展開している日本人のダンス集団ノマドの公開成果である。ほとんどエンドレスに重なり合うノイジー・サウンドの合間を縫って、時に夢のように聞こえてくるワルツの調べ。思わずそのメロディに浮遊しながら、私はダンス芸術が外観や修飾とは関係のない、身体そのものを通じて立ち上がるイマジネーションの謂いにほかならないことを、あらためて心の奥に強く感じていた。(12日所見)