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舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

ダンスレビュー

イスラエル バットシェバ舞踊団公演「MAX」:この作品が提示する真の魅力は何か
4月15日(木)~17日(土)4ステージ
彩の国さいたま芸術劇場 大ホール

日下 四郎 [2010.4/21 updated]
 まずタイトルとして用いられている「MAX」とはいったい何か?劇場で配られたパンフレットの中で、この作品の作者であり振付家でもあるオハド・ナハリンが、これについて語っているインタヴューがある。関係者以外おそらくこれが何を意味するのか、あらかじめ断定できる人はいなかったに違いない。なんとそれはこのダンス作品の音楽を担当し、自らもマイクを通してヴォーカルで共演している作曲者マックス・カウンティ(Max County)のファーストネームからとった愛称だったのである。

 しかしナハリンはこの呼称を、別にへんな意図があってとりあげたわけではない。60分にわたって展開する舞台の、ある意味ではさわりともおもわれる中枢部分に、ダンサーたちがバックに聞こえる1から10の数字の、繰り返して読まれる肉声に合わせて踊るシーケンスがある(これはワラッティという、世界でたった1500人の人間だけが用いている、ある極めて珍しい言語だという)。そのサウンドを導入し、この景のために朗唱する音楽家が、マキシム・ワラットというわけだ。

 実際ナハリンはこのアーティストとは個人的にも知己で、一時刑務所にも入ったという変わった経歴の人物らしいのだが、それはさておくとして、したがって“MAX”というタイトルには、ふつうこの言葉からまず最初に連想する“最大”とか“極限”とかいった意味合いは全くない。しかしながらこの名称が持つ一種の即物性、きわめてあっけらかんとした記号的インパクトは、たまたまこのコンテンポラリー・ダンスが依って成り立つ重要な骨格を、きわめて明確に示唆しているともいえるだろう。

 ナハリンの最近作であるこの「MAX」は、3年前の2007年に祖国イスラエルで初演された。だがいくつかのシーケンスでなり立つこの舞台には、およそ作品が内包する象徴とか哲学といった奥行きがない。というよりもむしろ意図してその種の要素を極力排除し、すべてをモノとしての人間身体ならびにその動きの表現だけで構成した、いわばナハリン式テクニックの展開で勝負した作品だ(その身体的語彙、表現としての独自のメソードを、ナハリンは近年GAGAと名付け、その追求に彼の情熱と好奇のすべてを注いでいる)。

 例えばトップのシーンは、なんのセットもないプレーンなフロアの上に、水着のような簡素な衣装をつけた男女5組のペアが、前後に組み合ってポーズしている光景。一瞬静止画を思わせる配置だが、やがてここから中腰の男の方の上体が傾き、屈んだまま相手の手をとり互いに上下したり交叉するなど、さまざまな人体の動きと噛み合わせが始まる。シャープで同時にギクシャクと突発的な動作が、すべてユニゾンでしかも無音楽の裡に進行する。あたかもこの作品の基底としての、骨格部分を抜き出して提示するような心にくい導入部だ。

 その後は途中からサウンドも加わり、ドゥオ、ソロ、グループなど、ダンサーによって構築されるさまざまなシーケンスが、いくつかの暗転による区切りを跨いで順次展開されていく。そしてそれら全体の印象はいずれも分裂、切断、変移、急転といった、いかにもナハリン式の挑発的な身体表現の連続だ。またその際に用いられる音楽も、例えば機関車のエンジン音、地鳴り、雷鳴など、いわゆるミュージック・コンクレート型のサウンドで、合唱やソロのヴォーカルといえども、そこにはメローディアスな、謳いあげる要素は全くない。

 イスラエルに、この自前の舞踊団が誕生したのは、まだ戦後このユダヤ人国家が誕生して間もない1964年のことだ。それも大富豪ロスチャイルド家の資産をバックに、なんと初代の芸術監督には、あの著名なアメリカ人舞踊家マーサ・グラームが着任したのである。そして作品は当初彼女のレパートリーから、国外における唯一の上演権を譲り受け、いわばその輸入作品を現地のユダヤ人ダンサーで踊るという方式が続いた。そしてその後も当分はジェローム・ロビンス、ホセ・リモン、グレン・テトリ―など、アメリカを中心とする外国の作品がプログラムされ、およそイスラエル国独自の芸術が作品が生まれることは当分なかった(なんだかバレエやモダン・ダンスにかかわるどこかの国の、戦後事情にいささか似ている気がしないでもない)。

 そこへようやく1990年に至って、ニューヨークやヨーロッパで修業を終えたオハド・ナハリンが、祖国テルアビーブを本拠地とするこの舞踊団の、初のユダヤ人芸術監督として迎えられたのである。その結果、7年後の1997年に、この舞踊団が初の来日を実現したときには、とりあげたレパートリィーは、いずれもナハリン自身の手になる「ジーナ」「アナフェーズ」「ナハリンの世界」など、すべてイスラエル・オリジナルのダンスに代わっていた。

 だがオリジナルといっても、これらの作品はどれもユダヤ民族やイスラエルの歴史はなかった。反対に愛とか憎しみなど、むしろ観念的で人間の実存に視点を当てた作品ばかりだった。そして当時この舞台に対する日本サイドの評判はどうであったか。振付にみるナハリンの個性が、ドラスティックで激しい手触りを武器としていただけに、観る側に一種の衝撃が走り、これは現代文明の不毛を衝き、それに厳しく反目する反西欧文化のダンス芸術かと思われ、あるいは実力以上に買いかぶられた気配があったと私は見たい。

 もちろんナハリンが身に備えたダンス芸術家として才能は一流のものだ。しかしよく点検すると、そのキャリアはカンパニーも含めて、明らかにアメリカ・ヨーロッパの伝統的な流れの上に出来上がっており、少なくともテクニックとしては正統グラハム・メソドの、より先鋭化した最新のヴァージョンであるか、あるいはベジャールの手法を拡大した、近代バレエとしての方法論以外のものではない。今回「MAX」見るに及んで、あらためて私はその思いを強くした。

つまりこれはユダヤ生まれの西欧人の感性と才能が生み出した、極めて個性的な具体としてのダンス・メソードの開示であり、テキストの一例だといえるだろう。つまりこれは見事なまでに彫り刻まれた西欧芸術の、完成されたテクニックの一標本であり、決して反文明やアジア的な異議申し立てを意図した作品ではない。なんだかアラブに対して完璧に装備されたイスラエルの超近代国家の完成図を連想させてしまうほどだ。しかしそれを承知の上で、日本の若いダンサーたちは、これから先の学ぶべき多くの芸術的課題と契機を、この作品に発見する必要があると思うのだが、果たしていかがなものであろうか。

(17日所見)