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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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ニッポンを素材にした D・ビントレーの新制作「パゴダの王子」 11月3日 新国立劇場

日下 四郎 2011年11月15日

イギリス時代のジョン・クランコによって初演されたロイヤル・バレエのレパートリーという正統血筋の作品に位置づけされながら、これまで日本では1部のプロを除いては、ほとんど知られていないといってもいいクラシックの演目に、「パゴダの王子」3幕がある。その理由のひとつには、1957年の初演以来、音楽は同じブリッテンを用いながらも、演出面でその後もクランコ自身の手になる複数の改訂版があり、またヴィノグラードフのキーロフ劇場での新版(72年)、あるいは同じロイヤル・バレエでのケネス・マクミランのニュー・バージョン(89年)など、初演後の半世紀にまたがる歳月の間に、さまざまな工夫を凝らしたヴァリアントが出て、その結果まだ決定版といった形のものが、定着していないからだという見方が出来るかもしれない。

しかしそのことはスタッフである創り手側から言うと反面魅力的でもある。クラシックとしての同じ曲で構成しながらも、人物の設定や演出の点では、いろいろと自由で新しい試みが許されるからだ。今回やはりロイヤル・バレエ学校出身のイギリス人デビッド・ビントレーは、おのれの構想と采配の下に、日本における芸術監督としてのシーズン2年目のトップ演目に、あえてこの作品を択んだ。そしてその構想の奥には、「日本をテーマにしたファンタジー」(プログラムのあいさつ文)を創りたいという着任以来の願望が秘められている。この国のバレエ上演史にとって長年の夢である“古典と合体した日本のバレエ”という決定的な1本をレパートリーに組み入れ、バレエ・ファン層の熱い要望に応えたかったのである。しかし考えてみれば、これはなにも今に始まった新国立劇場の目新しい活動とはいえない。オペラ、洋舞、近代演劇の分野を通して、日本人の手になる現代の舞台作品、日本を軸とした斬新でオリジナルな創作は、それなりに何度か試みられている。今も思い出す、1997年に新装成った待望の国立劇場での、杮落とし のバレエ演目は「眠れる森の美女」であり、続く年末の「くるみ割り人形」、そして年明けて石井潤・振付の書下ろし「梵鐘の声」の3本であった。このとき初代の芸術監督島田廣が口にしたのは、「とりあえずの目標は、マリンスキー時代の古典演目をこなしてみせること」という宣言。これは当時この国のバレエ界の実力を省みて、まことに用心深く且つ的を得た精一杯のマニフェストだったといえるだろう。そのため上演にあたっては、毎回のようにタイトル・ロールのバレリーナや主役級のプリンシパルを海外から呼び寄せ、スタッフの大部分にもまたズラリ横文字の人名ばかりが並んでいた。

したがってその中でただ1本の国産品「梵鐘の声」だけには、特別の意味合いがあった。いや特別の意図と強い期待がそこには込められていたのである。言わずと知れた国産バレエへの夢だ。新しい国立劇場の開幕までのスケジュールを照合し、完成までには十分すぎるほどの余裕と、スタッフ・キャストにも一流の人材に声をかけ、日本人だけの手による斬新なバレエを、記念すべき杮落としの舞台へ乗せたいという願いには、心中では切なるものがあったのである。しかし現実は厳しかった。出来上がったものを見る限り、そこには特に史実に斬り込むあたらしい解釈や発見があるわけでもなく、ダンサーの演技もまた平均レベルで、それを時代色の濃い伝統衣装で、いささか長ったらしく、おなじみ平家物語の一挿話として演じてみせただけの、ちょっと贅沢な特別ダンス・ショーに過ぎなかったといえば、これはいささか厳しすぎる採点であろうか。

あれから14年。さすがにバレエを取り巻く環境や製作条件も随分と変化した。そしてその期間に実を結んだもっとも著しい収穫は、日本人バレエ・ダンサーのプロとしての質的向上と数の増加であろう。今では新国立劇場のコール・ド・バレエがみせる表現能力は抜群で、「レ・シルフィード」や「白鳥の湖」など、古典モノの上演に際しての彼女たちの動きは、世界中のどの伝統的舞踊団と比較しても、決して引けをとらぬ高い水準を保つと評価されるに至っている。それにはバレエ研修所のような、新国立劇場ならではの、長期にわたる養成システムの存在もさることながら、その後第3シーズンから2代目の芸術監督として就任した牧阿佐美の10年有余にわたる、ひたむきな情熱と能力がなによりもモノを言っている。

もともと生まれながらのダンス育ちであり、母親である先代橘秋子の舞踊団、バレエ学校、そして自前の牧阿佐美バレエ団という、長年の現場体験を通して得たノウハウとダンサーを育てる指導力には抜群のものがあり、その方面での実績はだれひとり異議をさしはさむ関係者はいない。ただ問題はやはり日本産バレエの産出である。開場に続く5月以降のプログラミングにも、引き続き「白鳥の湖」「ジゼル」「くるみ割り人形」と、西欧古典の演目が同列に並んだし、2シーズンを受け持った島田初代監督が残した創作ものは、結局「梵鐘の声」と、そのあと中劇場で佐多達枝に託した「踊れ、喜べ、汝幸いなる魂よ」の計2本だけだった。ただし後者はモーツァルト曲に振付けた楽章バレエで、いわゆる古典形式を踏まえた多幕ものではない。

さて2代目に受継がれた日本バレエへの悲願は、その後〔J-バレエ〕や〔トリプル・ビル〕といった枠の中で、いわば小出しの実験スタイルや短編形式で試みられた。1999/2000シーズンにおける「悲歌のシンフォニー」(金森穣)、「十二夜」(石井潤)、「舞姫」(望月則彦)がそれで、またその後中島伸欣(2002「Nothing is Distinct」)、島崎徹(2002「FEELING IS EVERYWHERE」)などの有能な新顔も登場し、その後石井潤が3度目の挑戦としてビゼー曲に挑んだ新版「カルメン」(2005)、そして最近作としては芸術監督の牧阿佐美自らが手がけた2007/2010シーズンの「椿姫」などがある。この両者はそれぞれに熱い賛否両論を呼び起こした話題作ではあったが、もともとヨーロッパ原作の素材を再アレンジしたものであり、そう考えると果たして真に純国産のバレエと呼べるかどうか、出来上がりの成果ともどもどこかに一抹の不安が残る。