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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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2013芸術祭シーズンに発表された多岐にわたる現代舞踊作品のいくつか

日下 四郎 2013年11月18日

秋と言えば芸術祭シーズン。諸々の文化行事が企画され、多くの芸術作品が発表
される中で、戦後この方、つい最近までその中心行事の一つとして君臨してきた
のが文化庁主催の芸術祭である。そしてその第68回にあたる今年も、つい数日前
に終了した。舞踊部門の参加総数は関東で23公演。日本舞踊からバレエ、コンテ
ンポラリーからフラメンコと、あいかわらず種目だけは賑やかなこの国の舞踊界
である。

ここで少々この祭典の過去を振り返ってみると、第1回は敗戦翌年の1946年の秋
に行われた。戦後文部省の中に初めて芸術課というセクションが設けられ、民間
から呼ばれて初代の課長に就任した作家今日出海の提唱によって実現したとい
う。しかしこの鳴り物入りの芸術祭も、なんと初めのうちは全くの予算なしで強
行されたのだ。

そのため翌年からは1本の主催公演も組めず、かわりにすぐれた参加者に与えよ
うと考案されたのが、件の芸術賞だったのだ。当然賞金もない。しかしこれも5
年経った第5回目の1950年度に至って、なんとか500万円前後の予算が付いて、よ
うやく主催者である文化庁も面目の一端を果たせるようになる。

ところでその芸術祭賞だが、授賞対象はやはり初期は歌舞伎や邦舞が主で、洋舞
は何年か遅れて小牧正英の〔東京バレエ団〕(1949)や〔貝谷八百子バレエ団〕
(1951)が受けているが、ここでも現代舞踊の影は圧倒的に薄い。帝劇以来戦前
の活動はこちらの方がよほど早かったにもかかわらずである。もっともこの世界
からの参加者自体の数が、近年までかなり少なかったせいもあるだろう。またも
う少し掘り下げれば、現代舞踊の表現活動が、国の権威をバックとする祭典と、
本質的にどうかかわるかの問題もある。しかしここではそれには触れない。

それでもなんとか予算を獲得した1950年度には、初回以来途絶えていた主催公演
の舞踊部門として、石井漠の「神とバヤデーレ」と高田せい子・山田五郎の「湖
底の夢」の2本が上演されている。そしてその翌年の第6回芸術祭には、江口・宮
舞踊団が代表作のひとつ「プロメテの火」を、再演ながら参加、この年から新設
された奨励賞を受けた。芸術祭と現代舞踊の縁はじめとでもいうべきか。

これがきっかけで祭典にも少しずつ現代舞踊の存在が浮かび上がり、舞踊をテー
マにした2年後の第8回芸術祭の主催公演には、高田せい子・山田五郎(「石像と
花と女」「炎も星も」)、江口隆哉・宮操子(「作品七番」「プロメテの
火」)、そして石井漠(「人間釈迦」)という、いわば当時の3巨頭が力作をぶ
つけての3夜の上演を果たした。一方の日本舞踊は藤間節子、武原はん、花柳錦
之輔介らが集まった1夜だけの公演少なくとも形の上では、現代舞踊が堂々主催
公演のメイン役を果たした。。

ただこれらの作品は今からみると、身体表現に見るテクニックだけはモダンだ
が、空間も大劇場とあってスペクタクル性を優先した多景ものが多く、ある意味
疑似バレエのような匂いのする舞台であったことは否めない。因みに60年代に登
場したブトー(舞踏)からの参加は当初から絶えてないし、その後の10年間にみ
る受賞者は、一部のバレエを除いてはやはり日本舞踊家とその関係団体が主流
で、あのアキコ・カンダが自らのリサイタル「コンシエルジュリ」を引っ提げ
て、晴れて芸術大賞を手にするのは、第29回の1974年を待たねばならなかった。

さて今回も前置きが長くなった。いそいで作品評に取り掛かりたいが、そのまえ
にひとつだけ付け加えておきたいことがある。それはその後回を重ねてもっとも
権威をほこる行事となった感のあるこの文化行事も、70年から80年代にかけての
日本の経済的発展とともに、数多くのフェスティバルや舞踊コンクールなど、在
野の芸術活動も急速に広がりをみせ、各機関に大小さまざまな多種の芸術賞が設
けられるようになった。その結果文化庁の芸術祭自体が、あるいみで今では名実
ともに相対化されてしまっているという事実だ。

ということは、今では文化庁の芸術祭にさえ足を運べば、秋の舞踊活動の全般を
大方把握できるという事には決してならないということになる。だからと言って
個人として1人の評者が、あまりにも数多いすべての舞台を見て回ることは、ど
うみても不可能だ。いきおい自分で足を運んだプログラムの中から、心に留まっ
た舞台のいくつかだけをとり上げることになる。以下はそんな状況下における報
告と印象であることをおことわりしておく。

先ず問題の今年の文化庁芸術祭への参加作品の中では、冴子ダンスカンパニーの
新旧3本を並べた「第2回冴子ダンスカンパニー公演」(10月2日 成城ホール)
と、辻元早苗・花柳翫一の「うつろい」(11月5日 博品館劇場)の2本が印象
に残った。前者は昨年発表した「実りのあるところ。そこには確かに道があっ
た。そのトリ女たちの奇跡―」の再演と、新作「命のしずくを月にもらった」、
「天使の渇きがその嘘に聞く」(今年の5月祭に1部を公開)を見せたが、亡母
への追憶を芯に、偽りのない心情を唯一のメソードとして対峙する振付の姿勢
が、観る側の心に迫ってくる。モダンダンスと日本舞踊という異ジャンルのペア
で、舞台に多彩な空間を創りあげるのが狙いの後者は、昨年の暮に俳優座劇場で
発表したものを、さらに磨きをかけて今回はそっくりそのまま芸術祭参加として
挑戦した。作品への執着と自負は芸術家に共通する姿勢とはいえ、仕上がりの質
も高く、それなりの才気があってしっかりと最後まで見せる作品だった。

期間の中日には、横浜へ笠井叡の作品「日本国憲法を踊る」(10月27日 NYK
ビル)を観に行った。こちらでも9月27日から11月3日まで、例年の〔大野一雄
フェスティバル〕が開催され、大小12本のダンス公演が、ワークショップや野外
周遊型パフォーマンスともども、相次いで上演されている。憲法を扱ったこの笠
井作品は、もともと踊りという藝術表現の形式上、バレエはもちろんコンテンポ
ラリーでも、なかなか取り上げにくいテーマに属するだろうが、それでも決して
不可能とは言えない。要は芸術家個人の関心と決断の問題である。

それともう一つ、笠井叡はおなじブトー派でもオイリュトミーの前歴からもわか
るように、作風や主題が他の舞踏ダンサーと比べるとき、かなり開放されていて
自由であるという一事だ。この舞台も踊りは彼のソロだけで進行するが、上手に
女学生姿の3人のナレーターを立たせ、新旧憲法の条文や、必要な状況解説をユ
ニゾンの肉声で朗誦、あるいは途中にあの昭和天皇の終戦宣言の実録ラジオまで
聞かせるなど、構成にはそれなりの工夫が施されている。その中を笠井本人がフ
ロア一杯、おのれの生まれや心情を振り返りながら、現行憲法への帰依を表明し
て、最後まではげしく踊り続けるのである。

終って会場いっぱいの観客からは万雷の拍手が巻き起こった。もちろん常連シン
パの数も多かろうが、隣席の若いサラリーマン風の男性は、日曜日でもあり今回
はじめてこの舞台を見に来たのだという。私と同じくキャンセル待ちの列に並ん
で、ようやく切符を手に入れた客の一人だ。この創作がけっしてケレンではな
く、やむなく本人の心情から発したダンスであることは私も認めたい。逃げ隠れ
の出来ない、身体一個で勝負するダンス芸術の持つ強みといったものを、あらた
めて知らされた思いだ。

このフェスティバルに参加したもう1本のダンスに、池宮中夫とNomade~sの「ヘ
ルデンオーア(群生する耳)」(10月30日NYKホール)がある。彼の作品に根付
く強い美意識は、人体とモノを同一線上で捉え、これをとことんオブジェとして
動かしていく独自の演出にある。太い柱に埋め込まれた緑色の無数の耳。天井一
杯に張り巡らされた褐色の木枠。万国旗で身をくるんだダンサーたちと音楽バン
ドのからみなど、一切は視覚で綴る空間の詩だ。今回はそれをNYKの大きなホー
ルを相手に立派に成功させた。

コンテンポラリーの概念が導入された90年代の初期、ボーダー線上の活躍で話題
を占めたダンス系演劇のひとつ〔かもねぎショット〕の公演「赤と白」を久々に
観た(11月4日 セッションハウス)。キャプションにも“なかなか救われない
人々を救いたい寓話集とダンス”とあり、ギャグの効いた台詞いっぱいの挿話が
何本かあり、その間をソロからデュエット、あるいは全員で踊る音楽ベースのダ
ンスを展開する(振付:伊藤多恵ほか)。出来はマアマアだが、繋ぎの息抜きと
いったところで、客を惹きつけているのはやっぱり科白頻発のコントの部分だ。

もう1本類似の範疇に入れていいと思われる舞台に、“伊藤道郎に捧げる日本組曲と
三つのジェスチュア”と説明のついた〔ことば座〕の「平将門伝説:苅萱姫物
語」と題したお芝居を観た(10月23日―25日 シアターX)。劇中に生前伊藤道郎
の主導で生まれたという作曲家ホルストの「日本組曲」が用いられ、ヨネヤママ
マコ、柏木久美子(ミチオイトウ同門会会長)らが、道郎のメソードを用いた3
つのジェスチャを踊ってみせる筋立ての伝話(脚本・朗読・演出:白井啓治)な
のだが、こちらもまたダンス作品と呼ぶには少々無理があり、ユニークではある
がたまたま伊藤道郎に因んだ一篇の民舞劇を観たというにとどまった。(芸術祭
シーズン期間中の作品より抜粋所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。