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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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6月の公演より

日下 四郎 2014年6月24日

【DANCE ARCHIVES in Japan 第1部~第3部「日本の太鼓」他 新国立劇場(中)】

新国立劇場の舞踊制作部が、一般社団法人の現代舞踊協会(CDAJ)に持ちかけ、劇場企画の一つである〔DANCE to the Future〕シリーズの一つに位置付けるべく舞台化したもの。ただし今回はキャプションに〔a Door to the Future〕とある。これはスタート時点が今ではなく、さかのぼって現代舞踊の揺籃期におかれており、3部に構成された作品のタイトルも「DANCE ARCHIVES in Japan」である。大正初期からこの国が辿ってきた非バレエの、日本人による新しいダンスの記録から、今日という未来までたどってきたプロセスを、今のダンサーによって再現しようとした企画だと考えられる。

そこで実際のプログラムだが、第1部には1951年(昭和26)に、その年の芸術祭参加作品として発表された江口隆哉の「日本の太鼓」を選んだ。東北に古くから郷土芸能として伝わる〔鹿(シシ)踊り〕を、打楽器をメイン・ベースにした伊福部昭のオーケストラ曲に乗せて振付けた江口の代表作の一つ。長い角を立てた衣装の美しさと相まって、なんど観てもそれなりの感銘は伝わってくるが、それはこの作品が古典としての様式美でしっかりまとめているからであって、ダンス・テクニックとしては当時から特に新しいとはいえない。しかしこれは戦前江口がドイツから持ち帰って広めた、あのノイエ・タンツの大きな特色である群舞を、特に日本の風土に生かした好例として、あえてこの第1部に組み入れたのだろうと思った。

ところで第2部、こちらはもう一回り昔。大正から戦前の昭和にかけて活躍した、文字通り開拓期ダンサーの作品を、今活躍する一線のダンサーたちの身体に踊らせ、そのまま生身で紹介するという形をとった。

はじめに企画運営委員である片岡康子氏(早稲田大学名誉教授)の、日本のモダンダンス発生期についての短い説明があり、それに続いて「ピッチカット」(伊藤道郎・作品)、「母」(高田せい子・作品)、「タンゴ」(伊藤道郎・小森 敏・宮操子の3作品)と、前半は5本のソロダンス。そのあと続いて檜健次(「BANBAN」・1950)と石井漠(「食欲をそそる」・1925、「白い手袋」・1939)が創作した、群舞構成による3作品を組み入れた。

だがこのセクションにはかなり問題がある。まずアーカイブとして初演時の原形との近似性の問題。そもそもモダンダンスは型を継承するものではなく、いま踊るダンサー個人の身体性の上に成り立つものだという大原則を忘れてはいまい か。いくら音楽や衣装など付属の条件、当時と同じ素材を周到に準備しても、そのトータルの表現は、結局そのダンサー個人の肉体という1点に帰一する。したがってソロ作品ほど復元の難しさと誤謬性は高い。また空間との関連や、ダンサー相互のコンタクトが加味される群舞構成の場合も、舞台の大きさや照明一つの当て方で、その効果はずいぶんと違ってくるものだ。

このことは筆者がこれまでにこのパートの作品の多くを、過去に(生と映像を通して)実見していることと関係があるかもしれないが、率直に言って目の前にしたソロダンサーたちの動きは、開拓期の舞台の再現というよりは、加賀谷香や柳下則夫、あるいは中村恩恵ら、現今の1線クラスのダンサーたちの熱演を見せつけられている気がしてならなかった。同じことはそのあとの群舞作品についてもいえるが、中で初演時の員数にこだわらず、思い切って出演者数を増やし、直弟子の石川須姝子が師のエスプリだけをたよりに再構成した「BANBAN」の方がえって檜健次を生かしたと言えるかもしれない。

さてこれが第3部に入ると、アーカイブの意味はもう一回転して違ってくる。あの平山素子本人が初演2008年の「春の祭典」を再演する。ストラヴィンスキーの管弦曲を、ピアノによる4手の生演奏で弾かせ、フロアいっぱいに男女2体のジェンダーによる、激しい生の燃焼とせめぎ合いを演じて見せた近来の傑作だ。ただし平山はそれを、今回新たなパートナー(大貫勇輔)の起用と、2基のチェアを活用した新しい演出で、みごとにヴァージョンアップして魅せた。これはアーカイヴどころか、“今このとき”と真正面から勝負したクリエーションそのものだと言っていいだろう。アーカイヴという形式上の命題を踏み越え、ダンス芸術の真髄に迫る思いである。

思うに今回の企画の狙いは、日本における現代舞踊の過去の歩みを、生身のダンサーと作品の復元によって、広く一般の観客に知らしめたいと考えたのであろう。しかし結局テキストとして日本の舞踊史と、ダンス芸術の上演効果は、もともと次元の違う2つの狙いではあるまいか。3日にわたる客層には、おおぜいの学生など学校筋からの動員も観られたようだが、果たして彼らが1部から3部までの流れから何を感じ、何を得たか。もしそれがこの国の舞踊史を正しく知らしめることにあるなら、協会が所有する多くの資料や映像記録などをもっと生かした、プログラムの展開なり演出法もあったのではないか。今後も続行する企画と聞く。さらなる研究と開発を期待したい。(6日所見)

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A 「舞踊って言葉、いつごろから使われているかご存知?」
B 「ずいぶん昔からでしょう。たとえば室町時代…」
A 「とんでもハップンだわ。明治になってから坪内逍遥が作った新語よ。それまでの日本語には“舞い”と“踊り”しかなかった」
B 「じゃ、もともと洋舞に縁の深い言葉なんだ」
A 「そう、今じゃ外来語は、みんなカタカナに移してそのまま日本語にしてしまうけど、明治の人はまじめで、いろいろ漢字を使って新しい言葉を生み出したのよ」
B 「じゃ“群舞”なんかも」
A 「いえ、それは昭和になってから。ドイツでノイエ・タンツを勉強して帰国した江口隆哉が案み出した日本語で、その原語はBEWEGUNNGS=CHOR」
B 「ウェー、舌を噛んじゃう」



【新宿芸術協会 The Dance Gathering vol.18“ベートヴェンを踊る”四谷区民ホール】

なにがしか主題を立てて作品を持ち寄る新宿芸術公演の年次公演だが、今回は観終わってかなり印象が違った。作品を作るに当たっての、ダンスの占める位置がかなり後退している。かといってベートーベンの作品を軸に、音楽ベースの発表会でもないのである。

なるほど主催である当協会は、タイトルにも舞踊の二文字は見当たらず、一見地区を中心とするあらゆるジャンの芸術家の発表の場のようにもとれる。しかし実際は9割以上がダンサーたちによる組織で、事実過去十数年、第1回の〔小泉八 雲〕いらい、テーマは変わっても、それをさまざまな形の舞踊作品として発表を続けてきたのである。

ところが今回はその中心軸がずれた。なるほど「月光の曲」だの、「第九交響曲」から“歓喜”の四声合唱、あるいはピアノ・ソナタ「悲愴」など、なじみの楽聖曲はいくつも取り上げられている。しかしその演奏の方法の段階で、すでに原曲をギターやベース、さらに雅楽の笙に持ち替えるなど、アイディアがまず不必要に先走りしている。更にそれを受けてダンスがインド舞踊やフラメンコで踊るのだから、どっちが主体でどっちが客体か、観ている方はいささかキッチュな学芸課風の混乱を感じてしまうのである。

  

そう言えばプログラムのトップに、雑賀淑子の朗読による、ベートーベンの肖像・生涯の紹介があった。声も美声で才女らしくきわめて手際のいいナレーションには、今更のように感心したが、そこにはなぜベートーベンが、今回のプログラムのテーマとして選ばれたかについては、1行も触れられていなかった。まさか楽聖をダシにしたとは言いかねただろう。ここにvol.18企画のウイークポイントが象徴的に隠されていた気がする。

その点トリの作品「Sinfonia del cuerpo」(ナルシソ・メディナ/渡辺美紀)には、いささかユニークな個性の発揮が見られた。ベートーベン・ソナタのピアノ演奏(渡辺麻紀)も、まともなスコアと楽器を用いた正統なものだったし、上手一列に並べられた黒白数脚のスツールを行き来する2人の動きが終わってコーダに差し掛かった瞬間、ダンサーが深いため息とともにがっくり頭を垂れた一瞬のユーモアに、いかにも現代舞踊らしいシニカルな自己主張が見えて、ようやくダンス作品が面目を施した思いであった。(15日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。