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今年の里帰りダンサーたち

門 行人 2015年9月15日

夏になると、海外で働いているダンサーが里帰りして出演する公演が随所に見られるが、今年はそれが質量とも特に充実していた。筆者が見た中から、いくつかふり返ってみることとしよう。

■バレエ・幸せプロジェクト『ネオ・バレエパフォーマンス』
(2015年7月17日 名古屋市北文化小劇場)

一つめはドイツ帰りの松下奈央が主宰するプロジェクトの公演。松下を含め、ドイツや他の欧州諸国で踊っていた/踊っている7人が出演した。1~2人による約5分の短い抜粋を12本、切れ目なく並べる構成で、作品をじっくり見せるというよりはショウケースのような趣きだが、上演水準も内容も優れていた。

今年の夏は、海外の最新の振付を紹介しようとする試みがいくつか見られた。この公演はその典型で、ドイツのパウル・ユーリウスの作品から3つ(『Bitter Sweet』『Repentance』『Sacre』)、ベルギー出身のローデ・デヴォスの作品から2つ(『Rosa』『Ne me quitte pas』)の抜粋が上演された。

ユーリウスの作風は、うねり、たわみ、痙攣などで体に表情を与えつつ、低い姿勢やフロアを使って大きく動いても見せるもので、激しさやこけおどしを排して情念に直接訴えかけるようなところがある。デヴォスは『ブレル -- シャンソンで踊る』からの2曲。『Rosa』は男性ソロ、『Ne me quitte pas』は男女2人の作品で、どちらもユーリウスよりはクラシカルだが、スピーディな表現など、今日の振付傾向の魅力を押さえている。

それ以外の作品は出演者たち自身の振付による。そのなかでは、3本を振り付けた上田舞香に、振付家の指向性を強く感じた。マッツ・エクを思わせる構えや、その場にとどまったままの動きの探究、音の律動の使い方などに個性がある。他の人の作品も、作家性を強く打ち出すには至っていないものの、ごく自然に床に下りるなど、ふだん働いている環境で身につけたセンスのよさがあった。



■バレエ・アステラス(2015年7月19日 新国立劇場オペラ劇場)

今日の“里帰り公演”の隆盛は、2009年に始まったこの公演が発端かもしれない。当初は里帰りダンサーをまとめて見られるまれな機会だったが、同種の公演が増えた今では、フィナーレを除く11演目中5演目が国内の踊り手の踊り。そんな中でも収穫はあった。

フォガティみこは、YAGPなど多くのコンクールで賞を獲り、映画『ファースト・ポジション』にも出演したジュニア。ノア・ロングを相手に『グラン・パ・クラシック』を踊った。出来そのものは細部まで詰めてあるとは到底言えないが、ミスはほぼすべて、表現の上で効果的な形を作ろうとしてのもの。リハーサル不足を口実に、安全重視の微温的な行き方もできたのに、あえてリスクを取る姿勢に感銘を受けた。まだ若いし、公演の性格上も、許されてよい、いやむしろ望ましいあり方と思われた。

もう一つ、日本人の体型を持つダンサーの中にこの人が混ざることにも意義があった。堂々とした、前後に厚みのある胸郭。迫力も風格も気品も表現できる、実にバレエ向きの体型だ。体型の決定にはもちろん遺伝的要因が大きいが、国内のジュニアも、目指すだけでもこのような体型を目指すべきなのではないか。

上演水準の高かった演目には、バイエルン州立歌劇場バレエの河野舞衣とジェイムズ・リトルの『幻想~白鳥の湖のように~』(ノイマイヤー振付)、ベルリン国立バレエの菅野茉里奈とウェイ・ワンの『アルルの女』(プティ振付)などがある。とりわけ『アルルの女』は出色の出来。通常この作品は、アルルで見かけた女の幻影を熱病に浮かされたごとくに追う男を中心に据え、焦燥に駆られた許嫁が、うまく行きそうもない努力を絶望的に繰り返して男を引き戻そうとする、という風に演じられる。そうすると結局、2人それぞれの空回りの状況が表現の核になるわけだが、今回は違った。

男にも許嫁にも大仰な所作は見られない。実際に存在する女を想う、目の前の男の心を捉えるには、空回りしている余裕はない。一つ一つの働きかけを、地味に、丁寧に試みるのみ。その結果、男の体は手を触れられる距離にあるのに、その心には何も届かない、その静かで深い影が2人を覆うことになり、日常のすぐ隣に口を開いている恐ろしい運命の罠が視界に入ってくる。深い感動を呼ぶ上演だった。



■オーチャード・バレエ・ガラ ~JAPANESE DANCERS~
 (2015年8月1~2日 オーチャードホール 2日所見)

劇場芸術監督の熊川哲也が世界で活躍する日本人ダンサーを紹介するという触れ込みで、ボストン・バレエの倉永美沙、ウィーン国立バレエの橋本清香、木本全優ら、名の知れたダンサーが顔を揃えた。

なかでも熊川の古巣、英国ロイヤル・バレエのダンサーがよい踊りを見せたが、それには作品性もあずかっている。崔由姫と平野亮一が踊った『アスフォデルの花畑』のパ・ド・ドゥは、今をときめくリアム・スカーレットの振付で、シルエット気味のほの暗い明かりの中を、ダンサーの体がすーっと流されていく、抽象美に立脚した作品。テクニックや舞踊らしい躍動感も、美の前では必ずしも重視されないという今世紀的な考え方の好例だ。

ポワントの女性が上体を大きく動かして始まるマクミランの『コンチェルト』第2楽章も、強固なテクニックが必須なのに、それを見せるのではない作品。期待の若手、金子扶生が平野亮一と踊った。金子のテクニックには微塵の不安もなく、良質な仕上がりだったが、背中の使い方の加減で、抽象作品としては少し色っぽくなりすぎたきらいもある。若い金子にそれくらい大した疵ではないが、本作はKバレエ・カンパニーと小林紀子バレエシアターのレパートリーに入っているわけで、国内にこれをもっと(=ロイヤル・バレエの金子より)うまく踊れる人がいることに思い至ると、すごい時代だと感じざるを得ない。

この公演の呼び物は、所属の違う5人の日本人ダンサーによるフォーサイス作品『精密の不安定なスリル』だったが、今ひとつ。クラシックの規範をバランシンが押し広げ、フォーサイスがさらに極限まで拡張したのだから、きちんとクラシックの枠を踏みこえてくれないとフォーサイスらしくならない。ハイパーエクステンション、バランシン以上のオフバランス、パの接合など、フォーサイスには独自の特徴があるので、そこを明確に押さえてほしかった。もっとも本作も20年近く前の作品で、今の若い踊り手は、この手の作品がフォーサイス自身の指揮下で上演されるのを見たことがないかもしれない。フォーサイスももう歴史上の人物なのである。



■横浜バレエフェスティバル
(2015年8月19日 神奈川県民ホール)

こちらはフランスで活躍する遠藤康行を芸術監督に据えた公演で、民間の手作り企画とは思えないほど豪華なメンバーを集めている。現代的なカンパニーからはモナコ公国モンテカルロ・バレエの小池ミモザ、加藤三希央、スウェーデン王立バレエの児玉北斗、ネザーランド・ダンス・シアターの湯浅永麻ら。これにアメリカン・バレエ・シアターの相原舞、英国ロイヤル・バレエの高田茜らがクラシカルな演目で花を添える。

小池が加藤を遠隔操作するような『アルトロ・カントI』からのパ・ド・ドゥも忘れがたいが、湯浅がバスティアン・ゾルゼットと踊ったマッツ・エク版『眠れる森の美女』のパ・ド・ドゥが絶品。四肢を強烈に放り出すようなエク独特の語法をそのまま眼前にできるのは、いつ以来であろうか。



■吉田都×堀内元『Ballet for the Future』
(2015年8月25日 金沢 本多の森ホール、27日 ゆうぽうとホール 27日所見)

吉田と堀内の芸術を次代に継承しようという趣旨の公演だが、ヒューストン・バレエの加治屋百合子、飯島望未、セントルイス・バレエの森ティファニーに加え、海外のスクールで学んでいる者が5名参加した(付け加えるなら、セントルイス・バレエの芸術監督を務める堀内自身も里帰り組である)。演目はバランシン1本、堀内作品3本、クリストファー・ダンボアという人の作品、『ドン・キホーテ』グラン・パ・ド・ドゥである。

バランシンの『Valse Fantaisie』を最初に置いたのは、バランシン最後の弟子である堀内の師への挨拶だろう。女性4人と1組のカップルの作品なのだが、アンサンブルを踊った海外スクール生の踊り方が揃っているのに驚いた。音の取り方もそうだが、スクールはバラバラなのに、脚を上げるときの腰の抑え方など基礎的なスタイルが統一されてとてもきれい。「継承」とはこういうことか、と感じ入った。

小品4本と『ドン・キホーテ』のあと、休憩を挟んで第二部は堀内の『La vie』。セントルイス・バレエで初演されたもので、吉田と堀内はこの作品にのみ出演する。室内管弦楽団とジャズのピアノ・トリオのために書かれた軽快を主調とする曲で、スピードと丁寧さをどう両立させて踊るかが課題になる。

ここでの吉田はまさにそのお手本。スピードに乗って大きく躍動しつつも、決して足を蹴ったりせず、丁寧に中間点を経由していく。回りながら移動していくところなど、頭の保ち方があまりにスムースでぶれがないため、磁力で浮いた盆の上でリンゴが回転しているように思えるほどだった。この神業はそう簡単に継承できそうにないが、お手本を目の当たりに見た経験は、ゆくゆく、若い踊り手の身になっていくことだろう。

門 行人(Yukito Kado)
舞踊批評
 
1994年より週刊オン★ステージ新聞などの紙誌に舞台評を執筆。大学では哲学を専攻した。