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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.39 「アイザック・スターンのことなど」  
2001年10月2日

 今晩(9/30)のNHK教育テレビの「N響アワー」を見ようとチャンネルを切り替えたら、いつの間にか番組が変わっていて、「バイオリンの巨匠アイザック・スターンをしのんで」という特別 番組になっていました。つい先日亡くなったアメリカのバイオリニスト、アイザック・スターンを追悼するもので、彼のかつての日本での演奏いくつかとインタビューが放送されました。彼は20世紀後半、常に第一線にあった巨匠です。享年81才とのことです。こちらも急遽この話題にします。
 バイオリン奏者の演奏家生命はバレエダンサーに比べたら長いといえますが、技術的なレベルを落とさず第一線にありつづけるのは稀有のことです。内外で天才をうたわれながらもいつのまにか消えてしまった人も少なくありません。スターンは最後まで現役でした。
 実は僕もウン十年前にバイオリンを少しかじっていたんです。だからその難しさを知っているのでバイオリンに対しては特に思い入れが強いんです。あのころ僕は一度だけ自分の演奏をテープに録音してみました。そしてあまりにヘタなので驚き呆れ、バイオリンをしまいこんでしまったのです。人間はなかなか自分のことを客観視できないものだと痛感したものです。しかしいまでも夜中にCDで聴くのはバイオリンの曲が一番多いイようです。
 僕の少年時代ではクラシックのレコードの演奏家のほとんどはヨーロッパの人々でした。クラシックはヨーロッパの音楽だから、本場の人の演奏が本物だという単純な本物志向からです。しかし戦後アメリカからアイザック・スターンが彗星のように出現したのです。レコードで聞くスターンの演奏は技術的にまったく完璧で音色も豊かで文句のつけようがありませんでした。しかしこれも最初から好評は得られませんでした。うますぎるのでしょうか。彼の演奏のことはボーイングの爆撃機が飛んでいるようだとの評もありましたが、これはちょっと否定的な表現でした。バレエダンサーについても技術を前
面 に出すと悪口をいわれたりしますが、音楽の批評もそういった精神主義がありました。若い僕も音楽評論家の批判を読んでそんなものかと思ってもいたのです。しかし間もなくスターンが来日した時の演奏を聴いてすっかり感動してしまいました。堂々とした演奏ですが、聴く人を圧倒するのでなく暖かい感じがしました。高いチケット代を払ったので何とか感動しようとしたのかも知れませんが、ナマはすてきでした。
 前後してアメリカ出身の指揮者・作曲家のバーンスタインも脚光を浴び、来日も重ねました。アメリカ人のクラシックなんてどうもネという先入観はくつがえされました。何もその芸術が生まれた国の芸術家でなくてもいい。日本人のバレエなんてといった風潮があったのに、優れたダンサーが続出して世界的にも認められ、日本人が自分たちのやることに自信を得てきた時代が始まったわけです。
 いまちょうど思い出したのですが、かつてバーンスタインが作曲したバイオリン独奏とオーケストラのための「セレナード」という曲をスターンが独奏し作曲者が指揮したレコードがありました。セレナードといっても恋人の窓の下で歌う歌ではなく、純粋な器楽曲です。しかしモーツァルトのセレナードのように物語のない抽象曲ではなく、各楽章に人名が付いています。バーンスタインがアメリカから遠く時空をへだてた古代ギリシャの哲学者プラトンの著作「饗宴」を読んで作曲した曲です。内容はプラトンの師であるソクラテスを中心にギリシャのアテネの文化人たちがお酒を飲みながら勝手なことをいって酔いつぶれます。しかしこの曲は具体的な話の内容でなく、この文化人たちの姿を描きます。
 実は僕は若いころ「饗宴」を読んでいたので、それがどんな音楽になったのか興味を持ちました。聴いて見ると旋律の発展とか古典的な面 も多く、ちょっと判断に困りました。
 さて、僕はそのころNHKで音楽番組やオペラやバレエの番組のディレクターでした。コンサートホールや劇場で中継録画して放送するのと並行して、時には僕自身の企画を実現してテレビスタジオで番組を作ることもできました。そこである時、バーンスタインの「セレナード」をバレエ化しようと考えました。いろいろ考えた結果 、いまはなき有馬五郎氏に振付をお願いしました。哲学者ソクラテスに小林恭、喜劇作者アリストファネスに故関口長世、ハチャメチャ青年アルキビアデスにはこれも故人となった井上博文、そして若き日の小川亜矢子さんが男装してアテネ第一の美青年アガトンに扮するなど楽しい配役でした。古典バレエ一辺倒の時代でしたが、時にはこういう創作も放送したのでした。テレビでのバレエはチラシもありませんし、マスコミにとりあげられることも少ないのですが、視聴者の数は、劇場での観客に比べれば圧倒的に多いのです。そういう意味では、名もなく貧しい僕ですが、少しは視聴者のかたがたのお役に立ったかなーと思います。スターンとバーンスタインが協奏するレコードを使ったので思い出したのです。もう30年も前のことになります。
 やはり20年ぐらい前のこと、スターンがNHK交響楽団の定期公演に登場してベートーベンのバイオリン協奏曲を奏きました。このときの演奏は多少のミスはありましたが、おおらかで悠々とした大きな流れを感じさせ、いつまでも若いと思っていたスターンの巨匠ぶり老成ぶりに感心しました。真の芸術家は年をとって体力や技術が衰えても内容は充実するものだと実感させられました。これは音楽だけでなく、美術など他のジャンルの芸術にもあてはまることだと思っています。
 さっきの追悼番組の中で5年前、晩年のスターンがバッハのバイオリン協奏曲第1番の第2楽章を演奏していました。もうだいぶパワーは失われているものの自然体の演奏です。
 ここでまた思い出しました。30年ほど前にこの曲がバレエ化されています。このことは前にも書いたような気もしますが、牧阿佐美バレエ団でゲスト振付者として関直人氏が新作を振り付けることになりました。当時まだこのバレエ団にいた森下洋子さんが、初めてゲストの清水哲太郎さんと組むことになったのです。関さんから20分以内で何か爽やかな曲がないかとの相談があり、この曲をすすめました。バレエの名は「青のコンチェルト」。
 この選曲には種明かしがあります。ニューヨーク・シティ・バレエ団の演目の中に、バランシン振付の「コンチェルト・バロッコ」という名作があります。音楽はバッハの「2つのバイオリンのための協奏曲」です。このバレエが爽やかだったので、この曲の兄弟分であるバイオリン協奏曲を選んだわけです。
 この曲の中心となる第2楽章で、若い2人がパ・ド・ドゥを踊りました。美しい音楽に乗っての若々しく気魂のこもった舞台でした。そして森下さんは間もなく松山バレエ団に移籍することになります。運命って不思議なものですね。
 あれからもう30年、2人の踊りぶりも変わりました。昔はまず超絶技巧を前面 に出すといった積極性が面白かったのですが、近年は余計なことは一切しないで、長い経験を生かしての自然な踊りになりました。アイザック・スターンの演奏が時を追って変化したのと似ていますね。
 先日の松山バレエ団の「ジャパン・バレエ」での新作「アレテー」での2人の踊りも透明感のあるものでした。若さの芸術といわれるバレエですが、年齢を重ねて初めて表現できるものもあるんですね。そしてわれわれ観客も年を重ね、たくさんの舞台を見ることではじめて理解できたり、楽しむことができるものもあるんです。日本ではとかく年をとってくると芸術離れしてしまう傾向があるような気がします。生涯を通 じて芸術に親しむことで年をとってから得るものはすごく多いはずです。今回は年寄りらしく思い出話が多くなってしまいましたが、少しはお役に立つかと思ってお話ししてしまいました。




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