D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 

ニュース・コラム

ロンドン在住・實川絢子の連載コラム「ロンドン ダンスのある風景」

ロンドン ダンスのある風景

Vol.3イングリッシュ・ナショナル・バレエ団「バレエ・リュス」

 
 先月も紹介したように、今年はバレエ・リュス誕生から100年の記念すべき年ということで、今月はイングリッシュ・ナショナル・バレエ団(ENB)が記念公演「バレエ・リュス」を行った。ロイヤルバレエ団の母体となったサドラーズ・ウェルズ・バレエ団はバレエ・リュスに在団していたニネット・ド・ヴァロワ(※1)によって創設されたが、ENBの礎もまた、バレエ・リュスのダンサーであったアリシア・マカロヴァによって築かれた。英国を代表する2大バレエ団は、ともにバレエ・リュスの落とし子なのである。
 今回のENB「バレエ・リュス」公演は、公演前から大変な話題を呼び、いつものバレエファン以外の層の注目を集めることになった。というのも、あのシャネルのデザイナー、カール・ラガーフィールドが、ENBのプリンシパル、エレーナ・グルージズェのために「瀕死の白鳥」の衣装をデザインし、〈究極のバレエ衣装〉としてメディアで大々的に特集が組まれたのである。
 そもそもココ・シャネルは、もともとディアギレフの親しい友人でもあり、ニジンスカ振付「青列車」、バランシン振付「ミューズを率いるアポロ」の衣装デザインも担当するなど、バレエ・リュスとの関わりの深いデザイナーである。ニジンスキー振付「春の祭典」の公演に多額の寄付をするなどして、積極的にバレエ・リュスの活動を支援し続けた。今回ラガーフィールドによる「瀕死の白鳥」の衣装デザインが実現したのは、そんなシャネルとバレエ・リュスの関係に敬意を表すためでもあるのだ。
 
 
   
 
 
 その話題のチュチュは、シャネルのクチュールメゾン「ルマリエ」の職人たちの手によって、100時間以上かけて制作された。新聞の特集記事に載っていた写真を見ると、さまざまな種類の鳥の羽毛がふんだんに使用されたチュチュは、ふわふわとまるで本物の鳥のようで、それもただの純白ではなく、ピンクがかった白やグレーがかった白など微妙なグラデーションになっているさまが見事だった。
 そんな〈究極〉の衣装を一目見ようと、エリーナ・グルージズェ出演日のチケットの売れ行きは一際良かったようだが、公演前はあれだけ話題になった衣装も、一度舞台にのってしまえばシャネルも何もわからない。この作品の衣装で重要なのは、それを着たダンサーが動きやすく、かつ身体のラインを美しくみせることだと思うが、批評家たちはこの衣装がそのどちらも満たしていないとして、散々な評価をしていた。実際、新聞の写真ではあんなに魅力的に見えた衣装も、客席から見るとディティールは全くわからず、妙にモコモコとして見えるだけで、バレリーナのウエストは太く見え、首周りの羽飾りも美しい首のラインを隠してしまっていた。デザインとしては〈究極〉に違いないが、それを着たバレリーナが舞台に立つと、バレエにおける〈白鳥らしさ〉がことごとく損なわれているようにしか見えなかった。なかなか皮肉なものである。
 この日のサドラーズ・ウェルズ劇場での公演では、「瀕死の白鳥」以外の演目として、「アポロ」、「薔薇の精」、「シェヘラザード」、そして「牧神の午後」からインスピレーションを受けたというデイヴィッド・ドウソン振付「Faun(e)」が上演された。中でも、一番強い印象を受けたのは新作の「Faun(e)」である。幕が開くと、バックステージが丸見えの状態の舞台で、ドビュッシーの音楽に合わせ一人の男が踊りだし、遠心力に引っ張られているかのように、舞台上にくるくると大小さまざまな大きさの円を描いていった。暫くすると、もう一人若い男が出てきて、最初に踊っていた男の踊りをコピーしていく。その踊りが手渡されていく過程が、今なお強い影響力を持つバレエ・リュスの歴史と重なって見え、色々と考えさせられた公演だった。。

カール・ラガーフィールドがアトリエで撮影した「瀕死の白鳥」は、シャネルのウェブサイトで見ることが出来る
(5月27日分: http://www.chanel.com/fashion/8-fashion-trends

※1 ニネット・ド・ヴァロワの本名はエドリス・スタナス、アイルランド人である。アリシア・マルコワも、本名をリリアン・アリス・マークスといい、れっきとした英国人。当時バレリーナといえばロシア人に限るという風潮の中で、二人ともロシア風の名前に改名した。
 
實川絢子
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。