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ニュース・コラム

ロンドン在住・實川絢子の連載コラム「ロンドン ダンスのある風景」

ロンドン ダンスのある風景

Vol.271月17日 イングリッシュ・ナショナル・バレエ「海賊」

〈踊る〉芸術監督タマラ・ロホの着任以来、勢いづいているイングリッシュ・ナショナル・バレエ(以下ENB)だが、今回ロホ監督はひとつの大きな賭けに出た――それは、英国のバレエ団として初の「海賊」全幕上演である。「海賊」といえば、ガラでよく上演されるパ・ド・ドゥは有名であるが、全幕上演されることはめったにない。つぎはぎ感の否めない振付と音楽、奴隷娘の誘拐という荒唐無稽なストーリーは、どうしてもチャイコフスキー三大バレエなどと比べると深みにかけてしまうことがその理由の一つである。そんな作品をあえて全幕で上演する価値があるのだろうかという周囲の懸念の中、ロホ監督は演出にアメリカン・バレエ・シアター版「海賊」全幕を手掛けたアナ=マリー・ホームズ、そしてデザインにはハリウッドで活躍しオスカー候補にもなったボブ・リングウッドを呼び寄せ、物語と音楽にすっきりとした流れを、舞台背景と衣装に洗練と魅惑に満ちた異国情緒を与え、まったく新しいエンタテイメント・バレエ「海賊」を生み出すことに成功した。今後、この作品がこのバレエ団の看板人気作品となることはほぼ間違いないだろう。

ワディム・ムンタギロフとアリーナ・コジョカルによる「海賊」寝室のパ・ド・ドゥ © ASH / ENB

今回鑑賞した1月17日の主役は、メドーラ役にロイヤルバレエから電撃移籍したばかりのアリーナ・コジョカル、そしてその恋人である海賊首領コンラッド役に、弱冠23歳ながら今やENBの看板ダンサーに成長したワディム・ムンタギロフ。コジョカルの踊りはどこまでも愛らしく華があり、スターとしての貫録を見せつけたが、やはりこの作品の中心は何といっても男性陣である。ムンタギロフは、息を呑むほどの高い跳躍と圧倒的な存在感でこの作品がコンラッドの物語であることを証明してみせ、コンラッドの奴隷アリ役のジュノー・ソウザは、しなやかなジュテ、完璧にコントロールされたピルエットでさらに舞台を盛り上げた。また、コンラッドを裏切る部下のビルバント役をカルロス・アコスタの甥ヨナ・アコスタが熱演し、コンラッドに負けじとばかりに驚くべき連続回転を披露し客席をどよめかせた。ほかにもコミカルな演技を交えながら飄々と難易度の高いジャンプを決める奴隷商人ランケデム役のドミトリ・グルジエフなど、次から次へと見ごたえのある男性ダンサーが登場していくさまは圧巻だった。
女性陣の中では、日本人ダンサーが大活躍。メドーラの友人グルナーラ役の高橋絵里奈は、日本人プリンシパルならではの正確かつ繊細な踊りで舞台に華を添え、オダリスクの一人を踊った加瀬栞は、類まれな音楽性とのびやかな踊りで三人の中でも一際目を引く存在だった。
もちろん、無駄がそぎ落とされ一段と洗練された作品に仕上がっていたとはいっても、やはり「白鳥の湖」などに比べれば物語のドラマ性が希薄であることには変わりはないのだが、今回鑑賞した日のキャストは、それぞれが卓越した技術と独自の個性で舞台をともに盛り上げている印象があり、大変見ごたえのある舞台だった。ロンドンでは、これまでロイヤルバレエの陰でかすみがちだったENBだが、ダンサー一人ひとりがユニークなレパートリーを通して成熟し、ますます層が厚くなったこのバレエ団の近年の勢いには本当に驚かされる。これだけコロシアム劇場が熱狂に包まれた公演はめったにないにもかかわらず、それでも空席がかなりあったのが残念でならない。
ワディム・ムンタギロフとアリーナ・コジョカルによる「海賊」寝室のパ・ド・ドゥ © ASH / ENB

實川絢子
實川絢子
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学ぶ。大学院で表象文化論を専攻の後、2007年に英国ロンドンに移住。現在、翻訳・編集業の傍ら、ライターとして執筆活動を行っている。