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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2003.11/11
古典バレエの改変とその意義」
 ーマリインスキーからのレクチャーに感じたことー

 11月の初めに興味ある講座がありました。
 平井涼子さんという方が主宰するT.T.プロジェクトが、2日から9日まで、銀座ロイヤルサロンで『帝室マリインスキー・バレエ美女列伝』という写真を主体とした展示会を開き、それに関連して記念レクチャーが行われたのです。
 レクチャーは、マリインスキー(キーロフ)劇場を中心に、古典バレエの作品やダンサーについて、歴史的に、そして今日的視点から展望するもの。全8回にわたって、古典の復元に力をいれているセルゲイ・ヴィファレフなど、サンクト・ペテルブルグから講師を招いて行われました。
 私は芸術祭期間中だったのでほとんど予定がとれなかったのですが、ちょうど空いた日に、テーマもとくに興味深かったので参加させてもらいました。
 講師はロシアバレエ史の第一人者ワジム・ガエフスキーさんで、タイトルは「20世紀ー変貌の世紀」(通訳村山久美子さん)。19世紀に生まれた古典バレエは、その後どのような変遷をたどって今日にいたっているか、それはどのような意味をもっており、これからはどうなるだろうか、といった点について、具体的な改変のケースなどに触れながら話されました。8講座の一つであり、約90分、しかも通訳が入りますから、それ程突っ込んだ議論にはなりませんでしたが、でも私には十分、いろいろなことを考える機会となりました。
 それで、彼の意見を適宜紹介しながら、むしろ私がどう考えたかを、断片的ですが述べてみたいと思います。したがって、レクチャーのメインテーマでなくても、私が一方的に興味をもったものもあります。
 この日のメインテーマは、私なりの理解ではこうなります(いささか独断あり)。オリジナル作品の改変について、古典バレエにおいては、新しい発見による改変は(本人、後継者を含め)、19世紀でほとんど終わり、20世紀には、芸術とは別の理由による改変か、劇場ごとに他との違いを示すための形式的なものに終わっている。舞踊芸術の世界では、新しい発見は、オペラなどとは異なり、20世紀、とくに後半には古典バレエとは別のところ(たとえばコンテンポラリーダンス)で生まれている。
 ここまでで、私が感じたのは、一つは、本筋からは少し離れますが、劇場ごとの特徴をだすというところ、つまり××劇場版というもの。これが日本にはない。いつもいっているのですが、新国立版『白鳥の湖』、『ジゼル』・・・・・・をぜひ作ってほしいということです。さらに、この日のテーマにはなりませんでしたが、20世紀の作品でも、マクミラン版、アシュトン版でなく、新国立版『ロミオとジュリエット』、『シンデレラ』を。日本でしいていえば、松山(清水哲太郎)版『白鳥の湖』、『ロミオとジュリエット』などでしょうか。
 わが国ももう10年たらずで洋舞百年になるのです(帝劇のローシーから)。ぜひカタカナ版ではなく漢字版の作品がたくさん出て欲しいです。
 率直にいわしてもらいます。評論家もほとんどがカタカナ版を有り難がっている。寂しいと思いませんか(反論どうぞ)
 話を戻してもう一つ。オペラとバレエの違い。これも機会があれば話しているのですが、バレエでは完全でないにしてもオリジナルに近いものが現在でも多くみられます。たとえば『白鳥の湖』。『ジゼル』だってペローの後、プチパやいろいろな人が、音楽はもちろんですが、物語や振付、美術など多少手を入れたとしても、百年以上前の形が強くのこっています。それに対して、オペラは誤解があるかもしれませんが、百年も二百年もたって(音楽は別として)、初演に近い形で上演されることはほとんどないのではないでしょうか。
有名なオペラでも、さまざまな演出家が、大胆に、クリエイティブに現代的な、あるいは個性的な舞台をつくりあげています。
 ただ、現代作品というと、舞踊のほうが、たとえば、20世紀に入って、バランシン、チューダー、アシュトン、プチ、クランコ、ノイマイヤー、ベジャール、キリアン、フォーサイス、ドゥアト、一方でグラームからピナ・バゥシュなどなど、多くの舞踊作家が古典にも増して多くの観客に支持されているのです。オペラでは、たとえばモーツァルト、ヴェルディ、プッチーニ、あるいはワーグナーに匹敵する作曲家が20世紀に生まれているのでしょうか。
 ここには芸術としての基本的な性質の違いもあるのかも知れませんが、舞踊というのはまだ「若い芸術」なんだといえるのではないのかなと思ったりもしています。
 ただこれは私が勝手に我田引水しているので、ガエフスキーさんは、そんなことはいっていません。彼がいったのは、古典バレエの世界では、オペラなどと違って新しい発見は19世紀でほぼ終わったということです。そして、彼の主張は、20世紀に入っての古典バレエの改変は、新しい発見によるものでなく、ほとんどが芸術以外の要素、たとえば広い意味の政治(時の為政者、思想、あるいは人種など)によるものであるということ、そしてこれは明言していませんが営業面の配慮?によるものもあるということのようです。
 とくに彼は政治面からの改変についていろいろと例をあげて説明しました。ストーリーを変えるだけでなく、場面をまるまるカットしてしまったとか。たしかに革命後のロシアではそれはあったでしょう。第2次世界大戦中の日本でもそのようなことはいろいろとありましたから。またフランス人であるプチパは低く見られ、その作品にはいろいろ手が加えられたが、ロシア人であるイワノフはそうではなかった。たとえば彼が分担した『白鳥の湖』の第2幕(湖の場)はほとんど変えられていない、などの私にとっては新説(あるいは一部では明白なのかもしれませんが)も披露され、興味ある点もありました。
 ただ、この点を突っ込むよりも、もう少し一般的に、古典作品のオリジナルは、どういう理由で、どうやって改変されるのかを考える方が面白いような気がするのです。実は、彼ら(ガエフスキーさんやヴィハレフさんなど)は、「古典バレエの場合、舞踊譜も完全なものはないし、オリジナルの復元がきわめて難しいが、しかしやらなければならない仕事である」として、いろいろな古典作品の復元に取り組み、その成果を舞台に載せている方たちのです。このたびもその一環としての来日もあったわけです。その『コッペリア』と『くるみ割り人形』が、ノボシリヴィスクバレエ団によって11月下旬に上演されます。これもなかなか興味があります。でも、私の関心は、それもありますが、むしろ古典バレエは現在どうあるべきかというところにありますので、もちろんこれも今回のレクチャーのテーマに関連があり、この点について、私見を述べてみたいと思うのです。ただし、スペースがなくなりました。これは次の機会(次々週)にとりあげます。