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Ayako Jitsukawa
東京生まれ。東京大学大学院およびロンドン・シティ大学大学院修了。幼少より14年間バレエを学んだ後、大学・大学院で英国演劇を専攻するはずが、ダンスへの執着は思いのほか強く、突如舞踊関連の研究に転向。2007年、英国ロンドンに移住、現地オペラ・カンパニーやダンス関連機関でマネージメント研修を受ける。現在も気まぐれにロンドンのダンス・スタジオでバレエやコンテンポラリーのレッスンを受けながら、ロイヤル・オペラハウスやサドラーズ・ウェルズ劇場に通いつめる日々。変わりやすいロンドンの天気に文字通り翻弄されながら、評判芳しくない英国の食材を駆使して不思議な日英折衷レシピを考案しつつ、ロンドン北部でひっそりと奮闘中。
「ロンドンに飽きた者は、人生に飽きたに等しい。ロンドンには人生が与えうるもの全てがあるから」―とは、18世紀英国の文豪、サミュエル・ジョンソンの言葉。「人生が与えうるもの全て」とは、実際何を指すのかわからないけれど、ロンドンはその途方もない懐の広さで、これまで途方もない数の人々を惹きつけて来た。私も、その「全て」が何なのか知りたくて、ロンドンにたどり着いたひとりなのかもしれないなと思う。
ロンドン情報というとやや手垢のついた感が否めないけれども、日本までなかなか伝わりにくいダンスの話、さりげない日常的体験やはっとした光景など、できるだけありのままにお伝えして、今のロンドンの息遣いを少しでも体感していただけたら・・・と思っている。
ロンドンでのバレエ公演は、たいてい夜の7時半開演で、終演は夜10時半ごろになる。ここで問題になるのが食事。観劇中にお腹を鳴らせてしまったらひんしゅくものなので、始まる前に何か軽いものを少し食べておいたほうがいい。ロンドンでは、劇場付近にあるレストランのほとんどが、5時半くらいから観劇者向けのお手ごろで簡単なコース料理「プレシアターメニュー」を用意しており、これを利用する人が沢山いる。普段は敷居が高いと感じるような高級レストランの中にも、このプレシアターメニューを用意している店もあり、高級レストランの料理が手軽に楽しめるとあって人気だ。
ロイヤル・オペラハウスの中には、レストランと軽食が楽しめるバー、そしてシャンパンバーが揃っており、公演時はいつも大にぎわいを見せている。レストランはアンフィシアター階とバルコニー階に2つあるのだが、中でも人気はバルコニー階のほう。階下の広いロビー(シャンパン・バーになっている)を見下ろせるガラス張りのバルコニー席で、開放感抜群である(逆に言えば、外から丸見え状態)。25分間の休憩時間中にそこで食事する人もいて、コース料理などはゆっくり味わいたいと思ってしまう私からみると、焦って食べて不味くないのかなと見るたびに心配になってしまうのだが、中には皆に見られることを一種のステイタスと感じている人もいるようだ。
私の場合、週末の公演なら、レストランでプレシアターメニューを食べてから行くことが多いのだが、平日だと大抵ゆっくり食事する時間もなく文字通り劇場に駆け込むことが多いので、いつも手軽な軽食を取ってから鑑賞することにしている。オペラハウスがあるコヴェント・ガーデンには、色々な店があるのでとても便利。特に木曜日には、オペラハウス前に世界各国の料理の露店が出るので、よく利用している。スープやパイといった英国料理、ヒヨコマメのコロッケなどの中東料理、ベーカリーやスイーツの屋台などが並んで見ているだけで楽しい。中でもお気に入りは、笑顔の素敵なおばさんがやっているポーランド料理の屋台。ロシアのピロシキのような揚げパンは、肉のフィリングが入ったしょっぱいものと、りんごジャムが入った甘いものがあるのだが、安いうえに、小ぶりなのですぐに食べられて重宝している。
他にコヴェント・ガーデン内でよく買うのは、コーニッシュ・パスティ。餃子状のパイ生地の中に肉や野菜のフィリングが入った、英国伝統の軽食で、コベント・ガーデン以外にも、ハイ・ストリートや大きな駅などには大抵店が入っている。もともとは、炭鉱夫が炭鉱に行く際、ポケットに入れて持参できるような携帯フードとして作られたのが始まりだったらしい。日本で言ったら肉まんにあたるような、素朴な食べ物である。いつもあつあつを売っているので、寒い日には特に嬉しい。さくさくとした香ばしいパイ皮の中は、牛肉のステーキ、ミント風味のラム肉、野菜など色々なバリエーションがあって、どれもシンプルな味付けながらほっとする味。かなりのボリュームなので、私には「小」サイズでも十分すぎるほどなのだが、かなり大きなものまである。
それから忘れてならない観劇フードといえば、幕間のアイスクリーム。英国の劇場ではどこも、幕間にアイスクリームの売り子が登場する。初めて英国でお芝居を見たときは、休憩時間になると沢山の人が一斉にアイスクリームをほおばっているのを目撃して少しびっくりしたものだが、乾燥した劇場で食べるアイスクリームは格別おいしく感じられて、その人気に納得した。オペラハウスで売っている英国産のアイスクリームは、ミルクの味が濃厚でとてもおいしい。お洒落をした紳士淑女が、ベンチに並んでアイスクリームを食べている姿は、なかなか可愛らしいものがある。
終演後は、なんといってもパブがおすすめ。劇場周辺のパブには劇場関係者も多く出没する。軽く一杯飲んで、劇の感想を語り合ってから帰路につきたい。
10月から本格的に始まった英国の新シーズンの幕開けを飾ったのは、ケネス・マクミラン振付「マイヤリング(邦題:うたかたの恋)」。今回マクミラン生誕80年祝して上演されたこの作品は、ちょうど17年前のこの日に行われた公演中に、マクミランが舞台裏で心臓発作を起こして亡くなってしまったという、いわくつきの作品でもある。
マクミラン最大の意欲作といわれている「マイヤリング」は、実際にあったハプスブルグ家のスキャンダル「マイヤリング事件」を中心に、複雑な愛憎関係を壮大なスケールで描いた作品。主人公は、皇太子として期待されて育つも、自由主義的な思想から父皇帝フランツ・ヨーセフ1世に反発し、家族からも宮廷から孤立、当時の政治事情に翻弄され、その癒しを女遊びとモルヒネに求めたルドルフ。政略結婚で妻となったベルギー皇女ステファニーとの冷え切った関係、母である皇后エリザベートに理解されない哀しみ、元愛人2人との関係、マリーとのゆがんだ愛と心中という、彼と5人の女性との関係を中心に、複雑なドラマが展開される。
これだけの複雑で重い内容が3幕のバレエに盛り込まれていながら、振付もまた、ダイナミックで複雑、かつ叙情的で見ごたえがあり、単なるあらすじ説明に終わらない。以前この事件に関する映画も鑑賞したが、マクミランの「マイヤリング」を見ると、バレエ以上にふさわしい表現形態はないのではないかと思えてしまうほどだ。
この日のキャストは、ルドルフ役にカルロス・アコスタ、マリー役にタマラ・ロホという人気スターの共演。鋼のような筋肉で躍動感あふれる踊りを魅せるアコスタは、ノーブルな王子としてのイメージはあまりないかもしれないが、近年意欲的に新作品に取り組むことで磨きぬかれた表現力といまだ目を見張る身体能力によって、ルドルフの張り詰めた心と絶望を巧みに表現していた。
幕開き後すぐ、カルロスが表現するルドルフが抱える心の問題の重さは、衝撃とともに舞台に緊張感をみなぎらせる。特に、ルドルフが母親に自分を理解してもらえず絶望に打ちひしがれた後で迎える結婚初夜の場面では、新妻ステファニーに髑髏と拳銃を突きつけて脅しながらの暴力的なパ・ド・ドゥが圧巻。続けざまのリフトはほとんど虐待的でありながら、最後まで主役としての貫禄を保ち、観客の同情が注がれるのは奇しくもルドルフのほうである。また、第3幕の心中前のマリーとのパ・ド・ドゥでもまた、モルヒネを打って朦朧とするさまを表現しながら、ダイナミックなリフトを連続して行うという難業をやってのけ、ルドルフの心の傷と深い悲しみが破壊的な愛へと昇華していくさまを、もっとも動的な形で表した。超絶技巧を繰り出しながらもそれをそうとは見せず、複雑な感情表現で観客の心を揺さぶることの出来る力量があるルドルフ役がいて初めて、この作品は単なるスキャンダル話ではなく、現代の観客の心に十分現実味を持って訴えかける悲劇になりえるのだろう。
一方、マリー役のタマラ・ロホは、1幕の少女時代の初々しさには若干無理を感じたものの、2幕でルドルフと恋に落ち、初めて密会した後の、若さゆえの無鉄砲さとロマンチシズム、そしてあやうい妖艶さの表現は秀逸で、なぜ17歳の娘が倍ほども年の違う男と心中に至ったか納得出来てしまうような丁寧な演技を見せた。特に3幕最後のパ・ド・ドゥでの、モルヒネを打って足元もおぼつかないルドルフの腕の中に繰り返し文字通り飛び込んでいくマリーの姿は、痛々しくも情熱に満ち満ちていた。パ・ド・ドゥのなめらかでダイナミックな展開はマクミランの名作「ロミオとジュリエット」のパ・ド・ドゥにも引けをとらないうえ、観客の心をえぐるような激しい感情の表出という点においては、「マイヤリング」のほうがはるかに上をいっている。1、2幕での王子に対する子供っぽい憧れを抱くマリーは、ジュリエットと比較できるかもしれないが、マリーが恋したのは愛のために死を選ぶロマンティックなロミオではなく、両親から見放され、愛人に心中を持ちかけるも拒絶されて行き場のない孤独を抱えたモルヒネ中毒の三十男であり、そのギャップが一層現実味を持って観客の心に迫った。
葬儀に始まり葬儀に終わる、死という暗いイメージに支配されたこの作品の中で、その重苦しさを軽減してくれたのが、ルドルフのお抱え御者であるブラットフィッシュ役。コミカルで軽快なダンスを見せたリカルド・セルベラが好演した。
また、今回の「マイヤリング」公演で注目を集めたのは、別の日にマリー役で初役デビューを果たした北アイルランド出身のメリッサ・ハミルトン。2007年にユース・アメリカ・グランプリで優勝した、現在ロイヤルバレエ団が期待をかける21歳の新人で、長身を生かした伸びやかな踊りが各紙で絶賛されていた。
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