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カバーストーリー

ダンスの世界で活躍するアーティスト達のフォト&インタビュー「Garden」をお届けします。

HOMEカバーストーリー > カバーストーリー 松本晋一・穴田英明 02
今は、男子が踊ることがふつうになりました。でもそれを仕事にするとなるとなかなかたいへん。ご両親はどのように見ていらしたんですか。
穴田「親には、留学するときから反対されていましたね。もっと安定した職業に就くように、と。それで、ダンスに関わる職業とはなにかと考えてオーディション受けてディズニーランドに入ったんですよ。」

いつ頃ですか。
穴田「ディズニーがオープンして8年くらいの頃で、10周年の時にもいました。タップだけの仕事ってないですから。踊りという大きな視野に立っていろいろ試行錯誤しながら、でもやっぱり好きなタップで食べられるようにしたいなと思ったけど、タップでショウの仕事は少なかった。早くから教えもしていたんで、それならタップを広めていくことをしたいと思うようになりました。」
松本「僕はレビュー的なことが好きなので、それに近いものをやっていて男が入れる場所をしぼっていったらディズニーランドだった。実はオーディションの日が父の葬式で、それで行かれませんって言ったら、翌日に僕一人だけ受けさせてくれたんです。」


いいお話ですね。ディズニーのショウは、ほんとうにみごとで楽しめます。
松本「そうですね、やっぱり王道をいってますね。」
穴田「ディズニーランドでは、僕たち同じ場所で踊っていたりしたんですよ。」

やっぱりご縁があったんですね。ショウのペースはどのくらいですか。
松本「一つの振付、一つの作品を1日3回から5回、1年間をとおして踊るんです。」

 
その公演数は、バレエ・ダンサーはうらやましがるでしょうね。踊るのにペース配分はたいへんでしたか。
松本「慣れれば平気なんです。」
穴田「いい経験になっていることは、確かですね。あとになって自分たちで創ろうと思った時、改めてディズニー作品の内容も見せ方もほんとによくできていると思いました。」

お二人とも渡米していらっしゃいますね。本場で習った時に衝撃を受けましたか?
松本「'96年から1年ぐらい行ったんですが、向こうで一番感じたのは、みんな楽しんで踊っていること。スピリットみたいなのが違うな、と。日本のスタジオって昔の習い事気質が残っていたような、修行みたいに先生が厳しかったような気がする。向こうでは、もっと解放されて自由な雰囲気だった。」
穴田「僕も日本で決まったルーティンを練習するスタジオに行っていたんで、それがすべてだと思っていた。向こうに行ったら、コンビネーションをやっていて、翌日行くとまた違うことやっている。先生もすごく努力していて、周りも学ぶ気持ちが強い。幅の広いことをやっているんだなと感じました。」

ところでお二人は、東京リズム・ボーイズというコンビで踊っていますね。”小粋にさらっと気張らずに”。
松本「タップもいろいろ種類があって、ひとつはフラッシュ・アクトっていうワッと驚かすようなもの、それはそれで素晴らしいんですが、もっと力が抜けて踊ってもいいのかなという思いがあったんです。」
 
 
レパートリーにはジャズのスタンダード・ナンバーもあって。はじめから志向するところが一致していたんですか。
穴田「僕のほうが年下で、松本が先輩。どっちかというと先輩から声をかけてもらって、僕としては学ぶことが一杯あったんで、舵取りをしてもらってついていったんです。」
松本「暗黙の了解みたいな感じで、僕は作品づくりとか曲選びをやらしてもらっています。穴田とは一番呼吸が合ったので、彼もいやだったらいやだと言っただろうし(笑)。それでさらっとやろうよ、と。小学校6年生からレビュー見始めて、宝塚を見てジャズを覚えて、たぶん僕は最後の日劇とSKDを見た世代じゃないか、と思います。」


あそこはいろんな曲で踊りますものね。
松本「だからジーンズ着て踊るより、燕尾服着て踊る方が好きなんですね。憧れたのかもしれませんね。」

東京リズム・ボーイズの初舞台は?
松本「出会ったのが'93年で、小岩の街の商店街のイベントで踊ったのが最初。今でもやっていますがハンド・クラップというディズニーのダンサーが集まってやる自主公演で街のイベントでショウをやるというので、そこに後輩で入ってきたのが彼でした。」

 
いい名前ですね、東京リズム・ボーイズって。もちろんポリシーも。
松本「名前はオヤジの影響です。昔の芸人さんみたいでしょ、なんとかボーイズって。」

松本さんのお父様は、ボードビルの早野凡平というコメディアンで、不思議な味わいとウィットのあった方。当時、中高生の私たちはファンで凡平ちゃんと呼んでいました。
松本「なんかかわいげがある人でしたね。小さい頃、父親がテレビに出ていた時期があって家族も出させられて、それがいやでいやでおもちゃ買ってもらえるんで出ていた。母が、モダンダンス教えていて僕は稽古場で育ったんです。周りはレオタード着たお姉さんばかり。だから20歳過ぎまで自分が踊りをやるっていうイメージがなかった。」

インタビュー、文
林 愛子
Aiko Hayashi
舞踊評論家 横浜市出身。早稲田大学卒業後、コピーライター、プランナーとして各種広告制作に関わる。そのかたわら大好きな劇場通いをし、'80年代から新聞、雑誌、舞踊専門誌、音楽専門誌などにインタビュー、解説、批評などを寄稿している。
フォトグラファー
長谷川香子
Kyoko Hasegawa
ステージフォトグラファー
日本写真芸術専門学校 広告・肖像科卒業後株式会社エー・アイに入社。飯島篤氏のもとで舞台写真を学ぶ。幼少時より習っていたクラシックバレエを中心にコンテンポラリー等多くの公演の撮影を経験。