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(2014.2.25 update)

森山開次 Garden vol.26

森山開次の舞台は、強い引力で私たちを虜にする。それはいつも新鮮、なのにどこかなつかしい。強靱でしなやかな身体があらわした苦悩や悲哀がやがて希望や喜びに転化されていく時、知らず私たちの心も浄化されていく。今回は、そんな彼の舞台裏について聞いた。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi
Photo : 川島 浩之 Hiroyuki Kawashima
協力 : アーキタンツ

 

今はとにかく鼓舞激励をしたい

震災以降、今の日本には漠然とした不安感も漂っているような気がするんですが、こういう時代に森山さんは舞踊についてどう感じますか?

そうですね、はじめはただかっこよく踊りたいと思っていましたが、とにかく今は鼓舞激励をしたいという思いが強いですね。踊るにしても人前に立つ以上は激励をしたい、そういう作品をつくりたいとは思っています。その表現は直接的なものばかりではないかもしれませんが、観にきてくださったお客様を力づけたいという気持ちが根底に強くあるのは事実です。

今の若い人たち、悩める若いダンサーたちにアドバイスをいただけるとしたらどのようなことでしょうか。

僕、アドバイスできる立場にないですけど、一言ではなかなか言えないんですが、とにかく、一つ一つの出会いを大事にすることしかないかもしれない。でも、はじめの頃を思い返してみると、とにかく自分にハッタリをかましていこうと思っていましたね。大学に行きながら生活のためのバイトに追われ、全然勉強する時間もなかったけど、これはたまたま大学の先生が言った言葉だったんです。

 

自分に対してのハッタリということですか。

はい。自分が自信をなくしている時だったので覚えていたんだと思うんです。その後ダンスのレッスンを受けているときに、僕は、この先生に3年で追いつく、1年でここまで到達するとか、人には言わないけど自分のなかでハッタリをかまして。そうして自分を奮い立たせていた。自分にハッタリってヘンな言い方ですが、自分が頑張れる言葉や方法を見つける。見つけるのはそれぞれ自分だし、それは物でも何でもいいと思うんです。

作品では、つい最近「LIVE BONE」が話題になりました。

LIVE BONEはホネや内蔵をモチーフに身体をめぐる壮大な宇宙をテーマにしていますが、応援団をやるような気持ちでもあるんです。普段なかなかやりにくい“フレーフレー身体”“フレーフレー自分”“フレーフレーみんな”みたいなことを組み込みたくて、振付は応援団の例のこれ(両腕を前と横に振って)を、最後にやるんですけど(笑)。

おもしろそう(笑)。

中学生の時に応援団の副団長をやったことがあるんですけど、母親も僕に「私はおまえの応援団長だよ」っていつも言ってくれました。自分の子どもにもいつも大丈夫、大丈夫って言っていますけど、僕も子どもの応援団長でありたい。前に「狂ひそうろふ」という作品を発表しましたが、大事にしているのは狂うという言葉で、これは能の言葉で演じると舞うという言葉の同義語だと知りました。人前に立って意図的に狂う。狂って魅せるんです。それで鼓舞激励するんです。
人前に立つということは、人と会うということです。人に会うことで何かを発したり表現したりする。人である以上、それをし続けていくのが宿命かもしれません。そして僕達は常に人前に立つわけです。僕は昔、影の闇の中で光をみながら踊っているほうが気持ちいいなと思っていましたけど(笑)、今は、光をバーンとあててもらって、私、今から踊りますと、覚悟と決意をもって舞台に立とう。そんなふうに思っています。

 
 

dream

日本にある羽衣伝説がアジアにも広く伝わっていることを知ったという森山開次は、平成25年度文化庁文化交流使として行ったインドネシアで出会ったバリガムラン演奏家のデワ・アリットを迎えて、能楽師の津村禮次郎と3人による
「HAGOROMO」を、自身の演出・振付・美術により上演した。
 まず舞台の中央、天井から下がっている円形の銅盤(表面にレリーフが施してある)らしきものが月宮を思わせる。銅盤からは白い布と黒い布が垂れ下がり、その下にアリットが座して演奏、舞台上手から黒い衣装の津村、下手から白い衣装の森山が登場して出会う。森山の重心を下へ下へと落としてから身体を上昇させる動きは、天女の飛翔への希求を示唆するようでもある。
能の「羽衣」では羽衣を見つけた漁師が宝物にと持ち去ろうとすると、天女が現れて返して欲しいと頼む。漁師がもしこれを返したら舞いを舞わずに帰るのだろうと言うと、「疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」(そんなことを疑うのは人間で、天人に偽りはない)と天女が応え、漁師は心打たれて羽衣を返す。
津村は森山の背後から、この有名な天女の台詞をよどみない声で響かせるのだ。
そして二人はそれぞれソロを踊り、デュエットを踊る。それは能にある白衣黒衣の天人の舞いのようでもある。垂れ下がった白の布と黒の布を引き抜くように取って空間を泳がせたり、手に丸めたりと、その使い方も効果的だ。白は善、黒は悪の象徴かもしれない。そして終幕近く、奏者の周りを円環をなして舞う二人。リング=円が永遠に続く潮の満ち引き、人と人との出会い、さらに生と死をも連想させる。「羽衣」を換骨奪胎し、音楽と二人の舞いが見事に一体化した「HAGOROMO」は新たなコラボレーションとしての成功をみた。


(2014年2月12日、所見:林愛子)