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(2020.1.27 update)

西川箕乃助 Garden vol.33

八面六臂の活躍を続ける西川箕乃助氏が語る多彩なキャリア。
それは私たちに励ましと元気、満ち足りた読後感をもたらしてくれる。

Interview,Text : 林 愛子 Aiko Hayashi

 

日本舞踊ではいきなりレパートリーから入りますね。

そうです。そして、しぐさと純舞踊的な動きが混在している。技術的なことではなく理屈で考えるのでもない。ロンドンに行って良かったのは、そういうことが見えたことですね。

逆にロンドンで感じられた日本のいやなところとは何ですか。

戦後の日本では欧米に倣えということで、たとえば学校でも三味線の曲を聞かせるのはたまに音楽の時間にレコードをかけてくれるくらい。日常生活では着物を着なくなり学校の入学式でも着物姿がどんどん減っていく。ロンドンにいた頃はバブルですから日本はそれが加速した時代でした。あの頃NHKのロンドン支局で、BBCニュースのテロップのサブタイトルをつけるのを日本語訳するアルバイトをしていたんですが、取り上げるのは天皇崩御とか経済ぐらいで、イギリス人は日本文化に対する興味はなかったと思う。でも日本の向いている方向は欧米化で、それは便利さを追求すること。日本的なことは排除されていく。その排除されていく側のことを自分の家はやっているわけですから、これでいいのだろうかと当時はよく思いましたね。


 

お父様に敬意を払い、その姿を見ながら長い伝統と歴史を継承していかれることをご子息が運命づけられているのは皇室や伝統芸能、もの作りのお家などで他にはなかなかありません。

僕には姉が2人いて、二番目は三味線をやって僕まで年子なんです。一番上の姉が家元だっていいわけですが、僕はかつての皇太子と同い年でしてね、自分の意志とは関係なく、男の子が後継ぎだとお弟子さんたちにも見られていました。大学卒業する時に、あなたはどうするつもりだと、覚悟をもたせて自分から言わせるために母親が聞いた。思春期には遊びたい盛りでしたが、他にやりたいものがないのか就職もせずこの道に入りました。ほんとの意味で覚悟ができたのは、イギリスから帰ってからですね。

舞踊で、この世界でやっていこう、と。

やっぱり根っこは踊りが好きだから。じゃなければやっていなかったかもしれない。芸事でイヤイヤやることほど不幸なことはありませんから。父である西川扇藏は親であって親でない。半分師匠ですから、甘えるとかけんかするとか普通の親子とはちょっと違います。うちでは母親がいろんな意味で見守り役、父親役でもあった。扇藏も母親が九代目の舞踊家でした。僕の祖母でもあり宗家でしたが、父が8歳の時に急逝したんです。その後、実質はその頃の高弟の方々が西川流と父を支えてくださった。

今だったら、お家騒動とかあっても不思議じゃありません。

跡取りが子どもなので、言いくるめられて乗っ取られたり。でもあの時代、日本人の意識がきちんとしていましたから。私の場合、母親がとても厳しい人でした。一昨年亡くなったんですが、しょっちゅう母とは口喧嘩。父が言いました。それができるおまえがうらやましい、と。苦労して育った父は自己主張なんかしたことなかったんでしょうね。私は、父に対して口答えしたことはありませんでした。


 

扇藏先生は、失礼を承知で言わせていただくととてもかわいらしい方で。舞台も洒脱でひょうひょうとして魅力的な先生です。西川会では会場のほんわかと和気あいあいとした雰囲気を感じます。

それは父の存在が大きいのでしょう。芸事の家はだいたい芸事をやってりゃいい、という場合が多いが、社会との関りを持つ以上勉強もきちんとしなきゃいけない、という考えでした。僕はなまけて大学5年行ったんですね、それで中退したいと言ったら、それなら踊りもやらないでいい、と。(笑)踊りを続けてKyuに参加したおかげで他ジャンルの現代舞踊の方々とも出会えました。

お年の近い方が集まった五耀會も画期的です。音楽でいう人気ユニットですね。

50代で五耀會を立ち上げてもう10年が過ぎました。私が一番年上で次が藤間蘭黄さん、花柳基さん、山村友五郎さん、花柳寿楽さんの5人です。流派が違うと利害もぶつかったりすることもありますが、それは脇へ置いといて、純粋に日本舞踊を世間に見てもらうにはどうしたらいいかと、さまざまな活動ができて本当に良かったと思います。間近で互いを見ながら舞台を作って、自分の足りない部分をこの人はもっているから素直にいいなと敬ったり、逆に自分の良さを再発見できたり、今のラグビーチームみたいです。(笑)今、五耀會には独自のお客様もいらっしゃるようです。

 

素敵なことですね。現代では日本舞踊を見たり習ったりすることは贅沢なことだとみなされています。

 
 

dream


4歳のとき「羽根の禿(はねのかむろ)」の稽古を
父につけてもらう


3歳のとき「かつを売り」で初舞台