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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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第14回ダンスがみたい !
die Pratzeの閉館と石井かほる作「路上」にみる知の冒険 7月17~26日 神楽坂die pratze

日下 四郎 2012年8月1日

ここ10年を越す期間、日本のコンテンポラリー・ダンス、舞踏のフロント戦線における現状を、ストレートに実践し伝えてきた感のある神楽坂の前衛空間die Pratze。それがこのシリーズの前半7月いっぱいをもって閉館になるという。もともと実験的なパフォーミングアーツの劇団OM-2の演出家である真壁茂夫氏が、これも惜しまれながらさきに取り壊しになった麻布のdie Pratzeと平行して、90年代の半ばから維持してきた小劇場だが、そのプログラム編成の一部を担ったシリーズ『ダンスがみたい』は、とりわけトライ&エラーとは切っても切れない現代ダンスの若手層にとっての、貴重な試みの場であったことは間違ない。

いわゆるブトー(舞踏)が、日本を代表する現代舞踊として、特に海外の外国人にとってはすこぶる特異な、それゆえ強い刺激として注目を浴びたのは、戦後も60年代に入ってからである。そのころはまだこの国の、〔今日〕を代弁する近代洋舞の主役は、いわゆる“協会”所属の、お行儀のいい優等生メンバーたちばかりであった。そしてその入会のためには、すでに協会の幹部なり一門の先生の推薦が、絶対の前提条件として先にあった。これは明らかに一種の閉鎖社会である。もっともそのウラには常にメンバーに一定の技術的な水準を保持したいという真摯な狙いがあったことは判るが、しかし様式美の達成を目標とするクラシックとは違って、現代舞踊にとっての本質的な与件である、個人のアイディアなり時代状況への視点という、テクニックを越えた視野と、独自の姿勢が優先されるのがこの藝術の特色である。

こうして時代の流れと共に、この国の有為なダンサーの卵たちは、協会の権威と敷居をまたぎ、次第に修練と勝負の場を外部に求めるようになって来た。それまではそれぞれの師が教えるテクニックが重要であっても、いつしか国の内外を問わず直接テンションの高いワークショップが広がり、それを個人の意思で自由に選択できる状況が形成されてきた。でなくてもいわゆる舞踏派が内外でもてはやされ、その結果いつしか “協会”系列対“反中央”の世界という、ある時期にらみあい状況が醸し出されていたことはたしかである。

その流れに伴って列島には、今までとはまた次元を異にするコミュニティや、若い現代舞踊家たちのための進出の場が出現する。全国をITという最新兵器のネットワークで結び、全国のメンバーから選んだ応募作を、『踊りに行くぜ』のモットーの下に、全国各地のみならず、一時は東南アジアまで足を伸ばす海外公演までが試みられた。それがNPO法人JCDN(ジャパン・コンテンポラリー・ダンス・ネットワーク)の活動である。一方またそれとは別に、都心の小さな劇場空間を定点とし、可能なかぎり低価格で若いダンサーや新しいグループに機会を提供する『ダンスがみたい』のような継続企画や、あるいは神楽坂のセッションハウスのように、座付きプロデューサの一貫した意思により、ジャンルを越えた有望株に場所を提供する、毎月のウイークエンド・プロジェクトなどが、ダンス界の新しい動きとし現われたのである。

これらの舞台は、中央機構としての従来の協会と比べると、なるほど活動の経済規模も一回り小さく、またダンサーとしての出演者の技量にも、未完成で見劣りするケースが多い。だが反対に創作意欲にかけては、誰もが唯我独尊風の自負に満ち、アイディアの奇抜さのみならず、そのエネルギーは堂々芸術上のカウンター・バランスとして、決して既成のプロも無視できないプラス要素を秘めていた。その結果『ダンスがみたい』では、2003年以来メインの舞台への推薦昇格を視野に、毎回先行して「新人シリーズ」を併設したぐらいだった。こうしてそれまでのシンプルで非ダンス風の仕上がりにも、次第に中味に変化と奥行きが出てきて、斯界の注目を浴びるようになってきたのである。

この変化と推移には、ただしもう一つ別の要因があった。それはひとつには『ダンスがみたい』の出演者の選択だ。それがここ2、3年前からプログラムの中に、以前には考えられなかった“協会”所属のメンバーが、積極的に参加を果たすようになってきたことだ。しかもこれが若松美黄、石井かほる、花輪洋治、熊谷乃理子など、いわば従来の協会派の、それも幹部級クラスの個性的メンバーによるものだったことは注目に値する。この流れや経緯にはある種の象徴的な意味合いが込められていて興味津々だが、その検討や論議は他日にゆずるとして、ここではその変貌を伝える一例として、今次公演の4夜目のプログラムである石井かほるの異作「路上」を、ティピカルな例として以下のレポートで採り上げたい。