D×D

舞台撮影・映像制作を手がける株式会社ビデオが運営するダンス専門サイト

 

ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.32 「ゆめまぼろしの世界」  
2001年5月30日
 つい先日、国立劇場の日本舞踊公演に行きました。伝統芸能のために設立されたこの劇場は35年前の開場以来、劇場主催の日舞の公演を続けています。今回はもう94回目とのことで、「ゆめまぼろしの舞踊」というタイトルで5作品を上演しました。ゆめまぼろしというだけに文字通 り夢幻的な作品ばかりです。上演順にちょっと御紹介します。
 「鴛鴦(おしどり)」。おしどりは常に雌雄が寄り添っているので夫婦愛の手本といわれます。今でも仲のよい夫婦のことをおしどり夫婦といいますよね。この踊りは歌舞伎の一場面 で、武士に夫を射殺された雌のおしどりが嘆き悲しむうちに池から雄の霊が現れ、二人は美しい男女の姿で踊り、仇の武士が現れると二羽のおしどりに変身して武士に攻めかかるうちに幕。つづく「善知鳥(うとう)」も鳥の名前です。生前に数々の動物を殺した猟師の霊が現れて、殺生の罪による地獄の苦しみを訴えます。
 「二人椀久(ににんわんきゅう)」は落ちぶれた富豪の椀久(椀屋久兵衛)が夢の中で恋人だった松山という傾城の幻影と華やかに踊りますが、目がさめると再びひとり。淋しく幕となります。「綾の鼓(あやのつづみ)」は、能からの舞踊で、御所で働く老いた庭師が、ふと見かけた美しい女御(にょうご)に恋いこがれますが、女御は布を張った鼓を鳴らせば思いを叶えようとの不可能な課題を与えます。能では空しく死んだ老人の霊の恨みが演じられますが、舞踊ではもう少し救いのある感じが救いになりました。最後の「羽衣」はおなじみの三保の松原での天人と漁夫の物語。玉 三郎と勘九郎が夢幻的な時空を作りました。
 この公演、5作品の並べかたが巧みで、音楽的にも地唄や長唄など変化があり、面 白いし感動もさせるし、勉強にもなりました。まずは企画の見事さを特筆してよいでしょう。
 ところでこういった作品はバレエもあります。19世紀前半のロマンティック・バレエの時代には、「ラ・シルフィード」「オンディーヌ」といった名作で、妖精など人間でない存在と人間との許されない恋の悲劇を描いており、「ジゼル」は恋人に裏切られて死んで妖精になってもなお愛する人を救おうという悲恋物語が幻想的に描かれています。この時代に創造されたトウシューズやロマンティック・チュチュはこういった非現実の世界を現出させる最大の発明でしょう。このおかげで古めかしい作品が現在まで残されているのでしょう。19世紀も後半の「白鳥の湖」も古くからの白鳥の伝説をもとにしていて、日本の鶴の伝説などと共通 するものを感じさせます。そして20世紀初頭の「レ・シルフィード」は森の中で一人の詩人が風の精たちと踊る夢幻的な作品で、ロマンティック・バレエのエッセンスを抽出して、バレエの醍醐味を味わせてくれます。しかしこういう非現実的な題材は、科学万能の現代ではとかく古くさいと片づけられてしまいます。実際に新しいバレエやモダンダンス、コンテンポラリーなどでは、こういう作品はあまり現れません。しかし夢のない、亡霊もいない現代だからこそ、たまには不可思議世界に行って見るのもいいのではないでしょうか。数年前に芸術祭で大賞を受けたバレエ「天上の詩」は、羽衣伝説がベースになっていました。
 これもつい先日、天王洲アイルのアートスフィアでフラメンコの長嶺ヤス子の踊る「あるジプシーの女」を見ました。彼女の踊りはあまりの激しさに時に辟易するのですが、演出の池田瑞臣が彼女の炎のような情念を巧みに制御して普遍化しようと努力しています。
 夫を突然亡くしたジプシーの女が、夫の写真を見ながら孤独を嘆く。夫への思いと夫の心残りが合致したのか夫の亡霊が現れ、二人は久しぶりに抱き合おうとしますが、亡霊には実体がないのですれちがってばかりで抱き合えません。欲求不満になった女は、ふとしたことから若い男と知り合い仲良くなります。ところが嫉妬した夫の霊が邪魔しに来ます。除霊をしても現れる亡霊の心情を感じた女は、本当は亡夫を愛しているのだと気が付きます。逆上した若い恋人は夫の亡霊を刺そうとしますが、それをさえぎった女を刺してしまいます。そして夫婦の霊は天上に赴く。といった物語でした。
 これはスペインの作曲家デ・ファリャの「恋は魔術師」に想を得たと思われます。これは同じような設定ですが、後半が違います。夫の亡霊が出る時刻に、妖艶な美女を用意しておいて、亡霊がその美女に気をとられている間に未亡人は若い男と結ばれてしまうという少々とぼけた結末です。「あるジプシーの女」はもっとまじめな女のようです。いつもはむせかえるようなエロスをふりまく長嶺さんにしては悟ったような終わりかたですが、これも時の流れで彼女がこの境地に達したのでしょうか。この舞台では、女と亡霊との心は通 じながらも肉体的なすれ違いが見もので、それなりに納得させるものがありました。うそっぽい作品も面 白いものです。
 写真が普及した現代では、絵画は写真には映らないものを描こうとしています。そして舞踊は、リアリズム演劇や、朝の8時15分からのテレビの朝のドラマではうつし出せないゆめまぼろろしの世界を描くこともできます。  こういう夢幻的な世界は、映画や劇画ではもっと明瞭に見ることが出来るのですが、劇場ではナマの舞台を見ることによってリアルタイムで非現実の世界を実感することができるのが特別 な喜びとなるのです。
 人間はどうしても最初に見たもの、感動したものに一生影響されてしまうようです。幼時にバレエ体験した人はバレエを見つづけ、ダンサーは自分の先生の影響から抜け切れないことが多いようです。洋舞を見つづけている人は、舞踊では洋舞が本流と思い勝ちですが、世の中にはいろんなものがあるんです。洋舞も邦舞も見比べて、両者の相違点や共通 点を見くらべたりすることで、双方の特質や魅力を理解し楽しむことができると思うのです。広く別 の世界を覗き見した末に、やはりいままで自分がやってきたことも正しかったのだと確認して、改めて自信を持っていままでの道を進んで行くことができたら最高だと思います。



掲載されている評論へのご意見やご感想を下記連絡先までお寄せ下さい。
お寄せ頂いたご意見・ご感想は両先生にお渡しして今後の掲載に反映させて頂きます。
また、このページに関する意見等もお待ちしております。
 
株式会社ビデオ
〒142-0054東京都品川区西中延1-7-19
Fax 03-5788-2311