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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.34 「むずかしいことをやさしく」  
2001年6月27日
 この冬、京都の東山のふもとを歩いていて、大谷本廟という寺院をのぞいた時に、本堂の右側の掲示板に「今月のことば」として数行の言葉が記されていました。「むずかしいことをやさしく・・・法然・・・」等々。舞台を見ても文章を書いてもいつも考えていることなので、メモしておいたのですが、どこかにしまい込んでしまったようです。そこでつい先日、大阪に行く途中にもう一度お訪ねして、寺務所でうかがって見ました。若いお坊さんが応対してくださり、掲示板を書いたかたが不在なのであとでお送りくださるとのこと。翌日帰京したら丁寧なお手紙つきでFAXが届いていました。通 りすがりの見知らぬ人のお願いをすぐ聞きとどけてくださったのです。感激しました。
 掲示板に書かれていた文句は次ぎのとおり。
 「むずかしいことをやさしく ー 法然聖人 ー
  やさしいことを深く    ー 親鸞聖人 ー
  深いことを広く      ー 蓮如上人 ー」
とあります。これは三人の宗教家の言葉でなく、作家の五木寛之氏が三人について記したことなのでした。彼は蓮如についての著作もあり、さらに前進座で蓮如を劇化しています。舞台上演の際のプログラムに書いた作者の言葉の中で、法然、親鸞、蓮如という3人の個性の異なる宗教家を五木流に解釈して比較したものでしょう。五木氏はこの中で、法然は、大事なことをやさしく行うことを教え、その弟子の親鸞はやさしいことを深くきわめようとした人で、二人に帰依した蓮如は、深いことを広く伝えようと生き抜いた人だったと思うと書いておられます。この三つは五木氏が物書きとして出発した時からの初志であり、現在も大切にしている抱負であると書いています。これをもとに「今月のことば」ができたのです。
 実は僕がテレビのディレクターとしてオペラ・コンサートをテレビ化した時、五木氏が出演されたことがあるのが御縁で、時々御著書を送っていただいているのですが、どこにもこの言葉が見当たらなかったのです。若いお坊さんからのFAXで謎が解けました。
 五木氏の著作には、さきの三つの言葉がちゃんと実現されているのに感心させられますが、僕もつねづね非力ながら努力はしています。この欄も一年以上になりました。昨年の早春、うらわ氏と交代で何でもいいから書いてくれといわれた時に、うらわ氏と一致したことは「デスマス調」にしようということでした。新聞などでは与えられた字数が少ないので「デアル調」にしてしまうことが多く、漢字も多くなってしまいます。内容も煮つめて書かなければなりません。ところがこの欄は印刷物ではないので、コンピューターの画面 を見つめる人たちの一人一人とお話しするように書いているつもりなので口語体になります。
 僕はNHKのディレクターだったので、ラジオでもテレビでも、アナウンサーの声を聞いただけで内容が理解できるようにとわかりやすい表現を心がけました。テレビに映し出される字幕も明瞭に簡潔に伝えなければなりません。わけのわからないような言葉が並べばチャンネルを切り替えられてしまいます。物事をわかりやすく過不足なく伝えるということは、実に大変なことでした。
 時代を敏感に反映したり、時代を先取りしてリードしようとする芸術はとかく難解になりがちです。内容に必然性がある場合はよいのですが、何もないのに難しく作った舞踊作品がかなり多いのは、見ることが時間の無駄 になることも少なくありません。同様なことが評論や、批評の場にも感じられます。文芸評論などの場合も、とかく表現が難しくなってしまうのは、評者が対象をつかみ切れていなかったり、評者の自己顕示のほうに比重がかかったりすることも多いことは時々指摘されることです。そんなこともあって物事をちゃんと理解したうえで、わかりやすく伝えなければいけないということが常に念頭から離れなかったような気がします。
 今回はプライベートな話が多くて申しわけありませんが、実は僕はNHKにいたころから批評のようなものを書いていました。日刊紙では匿名にしていたこともあります。しかし番組を作る時にはとにかく解りやすくと努めていた反動もあったのでしょうか、今になって見るとあの頃はけっこうカッコつけて、難しく書いていたような気もします。書いたものをほめられたりすればそれなりにいい気になっていたこともあったようです。今思い出すと冷や汗が出てくるようですが、若い時だったから許していただいたのでしょうか。いまはやはり五木寛之氏のように大事なことをわかりやすく・・・と伝えることができたらと思うようになっています。
 僕のことを出版社のかたが評論家などとの肩書きをつけてくださることが多いのですが、自分から舞踊評論家とか批評家とかいうことはないのです。批評のようなものを書いても、いまとなってはつっぱった気分はなくなり、あくまで視聴者や読者を代表してといった感じでとおしています。一般 のかたがたが、少しでも生活の中に美を見つけ、芸術に親しんでいただこうという考えを基調にしており、近年は番組を作る時も、物を書く時も同じような気持ちで接するようにしています。
 そして昨年の暮れ、20世紀の末を最後に、20年ほど書き続けてきた読売新聞の洋舞の批評もやめさせていただきました。若ぶっていても世間では定年を迎える年になっているのです。少しは自分中心に行きたい。ということでますます評論家とか批評家といったものから離れてきていますが、僕の書いたものを評論とか批評とかと扱ってくださるのならそれもありがたいことだと思います。
 いまのところ名刺の肩書きもありません。いつだったか、フリーターという肩書きの名刺を作ったら、編集の若い女の人に厚かましいと怒られました。フリーターは23才ぐらいまでのはずというんです。僕はそうは思いませんけど、皆さんはどう思いますか?
 そういえばこの欄は「今週の評論」というんでしたね。こんなエッセイ風な評論でもいいのでしょうか。今回は少々いいわけになっていますが、この後もしばらくの間はいままでどおり、わかりやすく、できれば深く広くを心にとめながら、皆様が美というものを見えるだけでなくちゃんと視る、聞こえるだけでなくきちんと聴くような機会をもっとふやして生活を楽しんでいただいたりするために少しでもお役に立てたらいいなと思ったりしているのです。



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