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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.40 「才能と努力」  
2001年10月16日
 10月に恒例のテレビ・ラジオの番組改訂が行われました。テレビ東京では人気のお笑い2人組ロンブー(ロンドンブーツ)とあの小室哲哉氏による「倫敦音楽館」(ロンミュー)とかいう音楽バラエティ番組ができました。その中に2人組の音感をためすコーナーがあります。先日チラと見たのですが、小室氏がキーボードの中央のハの音をたたいて2人にもたたかせ、つぎに別 の音をたたいて2人にも同じ音をたたかせたりします。敦のほうはけっこう勘がいいのですが、吉本興業ハンサムナンバーワンの亮のほうは苦戦しています。天は二物を与えずといったところでしょうか。音感のよしあしは残酷なほどはっきりわかります。
 あの番組を見ていて小学校時代の音楽の授業の時間を思い出しました。老教師がピアノをたたくと、普段はあまりパッとしない沼田君という子が即座に音名をあてるのです。僕なんかハホトとかハヘイ、ロニトぐらいの判断に一生懸命なのに、彼はどんな不協音もあてるのです。彼はいまでいう絶対音感を持っていたのです。
 その後、少しの間だけピアノのおけいこに通っていた時に、僕より小さい子が聴音で自信たっぷりに音をあてていました。いまでも挫折感を味わったのを思い出します。
 音楽の才能は小さい時に訓練すれば向上するとのことですが、やはり遺伝的なものが大きいようです。音楽家を輩出したバッハ一族はすごく耳がよかったとか。モーツァルトはどんな曲も一回で覚えたり、お菓子をたべながら、オシッコやウンコの話をしながらどんどん名曲を書いていたとか。しかしベートベンやブラームスは絶対音感がなかったらしいです。でも深い考えを持ち、努力をつづけて感動的な名曲を数多く残しました。特にベートーベンは完全に耳が聞こえなくなってからの曲が悩みをのりこえた感じで感動を受けます。ちなみに音感のよかった小学校時代の沼田君が大音楽家になった様子はありません。
 負け惜しみでなく、絶対音感があると不便なこともあるようです。レコードやテープの回転数が違っていたり、回転ムラがあるのが気持ち悪いとか、オーケストラの公演で、どの部分にミスがあったとか、欠点が気になって楽しめないようです。
 数年前、NHK時代の仲間たちと飲みに行きました。先客がカラオケをやっていました。歌っている人の音程やリズムが悪いんです。絶対音感を持っている友人が気分が悪くなったようです。連れて行ってくれた友人が気が付いて、お店にあやまって別 の店に行きました。音感がよすぎるのもどうでしょうか。過ぎたるは及ばざるが如し。音楽家になるのでなければ耳はほどほどがいいようです。
 ということで僕がNHKで専門家達に混じって音楽番組を堂々と作っていたのは、平均的な視聴者の立場に立って企画や制作をしていたからだとも思えます。だから番組を作っていても楽しくて、いやだと思ったことはありません。音楽は音を楽しむと書きます。音楽を楽しむのはほどほどの才能が一番いいかとも思っています。
 それにしてもアメリカの同時多発テロからもう一ヶ月になります。一応の危機感を持ちながらもナマの音楽や舞踊を楽しめる日本はつくづくありがたいと思います。実は10月10日にサントリーホールで久しぶりに「イ・ムジチ」の演奏会に行きました。おなじみの「四季」など本当に楽しみました。
 翌11日は東京文化会館の松山バレエ団の「眠れる森の美女」です。森下洋子舞踊生活50年記念公演のシリーズの一環です。オーロラ姫はもちろん森下洋子さん。彼女は満52才で16才の誕生日を迎えたオーロラ姫を踊るのですから、36才サバを読んでブリッコしているわけです。そしてちゃんと16才のように見えました。若い時の技術や体力はたしかに衰えているのですが、小柄なのを利用して、顔や手の表情など、全身で若いオーロラ姫を演技していました。舞台芸術の面 白いところです。それにしてもローズアダジオでトウで立ったまま長い間のポーズを見せるなど、いまでも超絶技巧を見せたりするのもすごい。森下さんの天与の才能もさることながら、不断の努力あってこその舞台に満足して帰途につきました。主役を踊りつづけるのは才能と努力の片方だけではどうにもならないということを思い知らされました。
 「がんばれば 森下洋子になれるかと きょうも汗するおとめよ哀れ」
 僕の友人が多少ふざけて詠んだ和歌というより狂歌でしょうか。僕は最後のところを「おとめうるわし」とかにしたらいいよといったのですが、彼は笑ってそのままにしていました。これは才能と努力についての歌です。
 日本はバレエ人口がすごく多い国です。実際実に多くの少女たちがバレエに憧れてバレエを始めます。大バレエ団のバレエ学校から町の研究所まで門戸を開放しています。お金があれば発表会でいい役も踊れます。しかしバレエをちゃんとものにするのは実は大変なことなのです。舞台の中央に出て観客を喜ばせ納得させるのは恵まれた条件に加え多くのハードルを超えなければなりません。
 多くの生徒達は、レッスンの合間に自分の能力を知り、限界を感じてしまいます。そしてお受験や就職、結婚等々で途中でやめてしまいます。踊りつづける人はしだいに減って行きます。しかし努力を続けるのが大切です。
 ソ連の大バレリーナが日本に来て日本のバレエの印象を聞かれて、「日本ではバレエの好きな人がバレエを踊っていますね」と答えたそうです。ソ連ではバレエの嫌いな人が踊っているのかと問いただすと、「ソ連ではバレエを踊るべき人が踊っています」と答えたとか。なーるほど、これがプロの世界というものなんですね。
 ソ連の大バレリーナの名言として、「1日レッスンを休むと自分にわかり、2日休むと仲間にわかり、3日休むと観客にもわかってしまう」という言葉があります。森下洋子さんはこの言葉を座右銘にしているようです。彼女は諸外国のバレリーナに比べて身長が小さいのは損だと思われていました。しかし人一倍の努力でこれさえ長所にしてしまい、可愛らしさを強調しているのです。  考えてみると、バレエは音楽のように先天的に音感が優れていないと問題にならないのに比べれば、まだ努力が報いられるような気がします。もちろん容姿や運動神経、音楽性などが要求されます。しかし努力によって克服できる部分もあるようです。ソ連時代のロシアではバレエを始めたいと思ってバレエ学校に入りたいと思っても、三代前まで太った人がいないかとか、容姿についても厳しいチェックがあり、なかなか入学もできなかったとか。しかし恵まれた条件をもって学校に入っても努力しなければ結局はスターになれません。バレエを志す人たちは他の諸芸術にも増して努力することが大切だということを忘れないでいただきたいと思います。
 さて、才能と努力の両立が芸術家に必須のことは当然のことです。芸術的才能が乏しいことを早くから知ってしまった僕は、おかげで諸芸術を楽しむ術をものにしたような気がします。しかしそれにも努力が必要だったのです。歴史の流れを調べたり、社会の構造を知ったり、諸芸術の様式を把握したり、約束事をものにしたり、等々。楽しむのにも努力がいるんです。そしていまようやく諸芸術を多少とも楽しめるようになったのですが、そうなると生きている残り時間が少なくなっています。どうしましょう?とにかくがんばります。



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