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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.46 「芸術と娯楽」  
2002年1月15日
 去年の秋の芸術祭の舞踊部門に、新舞踊の家元たちが結集した「舞踊家元会(最近、舞踊匠会)と改称)」が参加した公演がありました。題して「匠の祭典」。
 僕は昨年は審査委員ではなかったので、この公演は見なかったのですが、新舞踊が参加したということで物議をかもしたそうです。審査委員が新舞踊とは何かを知らなかったのではないかと批判的な人もいました。まして一般 の人々は新舞踊って何という人が多いはずです。新舞踊というと現在では民謡や歌謡曲に合わせて踊る娯楽本位 の楽しい小品の舞踊を指すようです。
 ところが戦前は新舞踊といえば芸術志向の強い舞踊を指していたのです。百年近くも前、1904年に坪内逍遥が「新楽劇論」という論文で舞踊の改革を図っていたのです。歌舞伎舞踊の技術を用いながらも新時代の思潮によったテーマによる新しい舞踊の創造を目ざしたのです。大正から昭和にかけ、志の高い歌舞伎俳優や日本舞踊家が作家や美術家と協力して芸術的な香りの高い舞踊をつぎつぎに創作しました。歌舞伎でも同様に新歌舞伎といって新しい時代に即応した舞台が生まれました。しかしこういう運動があるていどの成果 を収めたこともあって、新舞踊、新歌舞伎という言葉はなくなってしまったようです。
 それに対して近年は娯楽性の強い踊りが新舞踊ということになっています。ですから昨年まで芸術祭の舞踊部門には新しい新舞踊の参加がなかったのでしょうか。そして僕たちもなかなか新舞踊を見る機会がなかったのです。
 数年前に、バレエのかつてのスターで現在は教師、振付家である雑賀淑子(サイガトシコ)さんが、面 白い踊りを踊るから見てというので見に行きました。浅草の観音さまのうしろの方にあるゴロゴロ会館という劇場で、あの浅香光代さんが家元になっている浅香流の舞踊の会です。雑賀さんは三橋美智也の名曲「古城」によって、炎の中で落城する場面 でナギナタを振って敵方と闘うお姫様を踊りました。彼女はふだん芸術的活動をしているので、遊び心で新舞踊にチャレンジしたのでしょう。踊るほうも楽しかったらしいのですが見るほうも楽しく見ました。これが新舞踊でした。
 そして3年ほど前だったか、NHKの教育テレビで「歌に振り付けを」という12回シリーズの番組があり、新舞踊の各流派の偉い人たちが毎回交代で出演していました。例えば坂本冬美の「夜桜お七」などという歌で、踊ったり振りを教えていたのです。視聴者の人々の中には天下のNHKが何だと怒る人もいましたし、さすがと喜ぶ人もいました。僕は踊れないので一回しか見なかったのですが、世の中も変わった、NHKも変わったと感心したものです。
 そして去年は新舞踊の芸術祭参加です。つい先月、主催側の舞踊匠会からの印刷物が送られて来ました。特報「匠の祭典」ー「芸術祭参加公演を終えて」という事後報告のようです。その中で、参加することによって、世の中に新舞踊とは何かという問いに対して答えることができた。新舞踊の地位 向上、意識向上、レベルアップへの突破口になったとありました。相当に気負った感じがしました。公演当日の各人の踊りの写 真もありました。曲目は「荒城の月」もありますが「黒田武士」とか「お吉物語」等々もありました。家元たちが気合いを入れて踊っているらしく、さぞかし面 白かったとは思います。
 しかしここで新舞踊は芸術祭向きか、芸術か娯楽かという問題が起きてきます。送られた特報に書いてありました。「主催者の意見としては、難しくて分からないものが芸術なのでしょうか。私個人は新舞踊は芸術であらねばと思ってはおりません。でも人々に感動していただくのが芸術ならば、新舞踊は十分に価値があると思います。・・・」「もし娯楽性と芸術性がまったく融合しないものであるならば、私たちは間違いなく娯楽性を選び、誇りを持って舞台に立ちたいと思っております」とあります。偉い。こういうことならば芸術祭などに参加しないほうが立派でしょう。しかし新舞踊を芸術的でないとして参加を拒否する必然性もありません。
 娯楽性と芸術性は融合するものと思います。どっちが100パーセント、どっちが0パーセントということはないでしょう。歌舞伎もかつては庶民の娯楽でした。それが近代に入って意識の高い名優が続出し、内容的にも深く、技術的にも完成度を高め、表現の洗練を加えることで次第に芸術的になり、国家の保護の対象にもなりました。人間国宝や芸術院会員も輩出します。文楽や能狂言、邦楽、そして日本舞踊も同様な変遷を遂げています。しかしそうなると当初のエネルギーが失われる危険性もあり、猿之助や勘九郎らが再び娯楽性を強調して人々を劇場に呼び込んでいるのです。ここで芸術と娯楽の共存が果 たされていると考えられます。
 いっぽうバレエは19世紀までは王侯貴族や富裕階級の娯楽でした。バレリーナたちは支配者たちの慰みものにもされたそうです。しかしバレエは20世紀に入って次第に芸術化され、舞踊家たちも芸術家として扱われるようになりました。さらに20世紀になって台頭したモダンダンス、最近のコンテンポラリーダンスなどは、かつてない芸術的姿勢を誇示し、難解な作品が続出しています。その結果 、一部のファンの評価は得ても一般観客からはソッポを向かれるようにもなっています。
 現代は何でもありの時代です。芸術と娯楽が交錯し融合して、人々を楽しませたり感動させ向上させてくれる時代なのです。オペラやバレエや歌舞伎の人気は芸術性と娯楽性の両立に成功しているからでしょう。とかく芸術性のみが評価されるクラシック音楽でも、僕なんかは若い時には一生懸命努力して近づきましたが、聴き込むことによって楽しみになり慰めにも娯楽にもなってきたのです。
 その反対にポピュラー音楽やジャズダンスなどはかつては芸術扱いされませんでした。四半世紀以上も前のことジャズダンスの巨匠が芸術祭の参加申し込みをして拒否されてすごく頭に来たという事がありました。しかしおととしの芸術祭ではアフロ・アメリカン・ダンスの森嘉子さんが大賞を受賞しています。これは感動的な舞台でした。こんなわけで新舞踊も将来は一般 性とともに深みや高さを獲得して、一般観客を楽しませるだけでなく、人生を教えてくれることもできるような気もします。要はジャンルの問題よりはレベルの問題でしょう。
 最初から芸術として作られたものが必ずしも芸術として残るとはいえません。その逆に信仰の対象として作られた寺院や仏像、教会やキリスト像が、いまでは美術品、芸術として高い評価を受けています。われわれは芸術性や娯楽性等々をほどほどに使いわけることで、人生を豊かに楽しく生きるべきでしょう。
 ここで思い出したことがあります。去年の11月、中野のゼロホールでの「菊の会」の公演で舞踊劇「カッチャ行かねかこの道を」という舞台を見たのです。第2次大戦の前後の岩手の農村を舞台に、早朝から夜中まで働きづめの主婦を主役にした物語です。芝居の合間に鬼剣舞などの民俗舞踊が入ったりして、楽しくわかりやすい舞台でした。この舞台はすでに25年も前に芸術祭の優秀賞を受賞しています。以来、全国で400回以上も上演を重ねているとのことです。いまは演芸部門と改称している大衆芸能部門で受賞したものですが、芸術ということを意識せず、自然体でいながら観客を感動させる力がありました。新舞踊の将来や芸術と娯楽について考えさせるものがあったような気がします。



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