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幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.56 「グリゴローヴィチの『白鳥の湖』」  
2002年6月3日
 前回は「白鳥の湖」の歴史的流れを見るといった感じになりましたが、今回はグリゴローヴィチ版についての私見を少々、古典バレエの全般 に及びましょう。
 先日、初来日の韓国国立バレエ団が「ジゼル」と「白鳥の湖」を上演しました。前者は伝統的な舞台といえますが、後者は、かつてボリショイ・バレエで長い間独裁的に活躍していたグリゴローヴィチの版を採用していたのです。実はボリショイの公演で何回も見つづけたのでいい加減うんざりしていました。でもグリゴローヴィチの権力が失なわれたのでもう見られないかと思っていましたが、少し懐かしい気もしたのです。ということでこれを少し客観的に見ようと思ったのです。
 韓国国立バレエは創立以来40年とかですが、近年急速な発展ぶりを誇示し、日本のバレエに追い付け追い込せといった気迫すら感じられました。日本もうかうかしてはいられないと思ってしまいます。
 それはさておきグリゴローヴィチはキーロフの出身ですが早くにボリショイに転勤してから権勢を振るい、古典のリメイクや創作にグリゴロ色を濃くし、自分のやりたいことを実現してしまった人です。グリゴロ体制になってからのボリショイ・バレエの初来日公演はもう29年も前の1973年のことです。東京公演はNHKホールの落成を記念してグリゴローヴィチ版の「白鳥の湖」と彼の「スパルタクス」、そして古いラブロフスキー版の「ロメオとジュリエット」の3本立てでした。NHKではこの3作とも放送しました。僕は初日の「白鳥の湖」を担当しました。外来のバレエ団の公演は、踊り込んだ自信作を見せるのでリハーサルは手抜きです。リハーサル室での通 しげいこにつづいてホールでオーケストラと合わせるリハーサルがあればいいほうです。
 とにかく初日の舞台はグリゴロ夫人のベスメルトノワのオデット、オディール、王子はかっこいいボガティリョフ、ロットバルトは悪者ぶりがすてきなアキモフと、当時のベスト・キャストでした。グリゴローヴィチという人はすごい人でNHKテレビの収録と聞くと、夫人を主役にすることが多かったのです。別 に愛しているとかではなく、主役は踊る回数によって収入が違うとかいう理由らしいのですが、彼は主役の配役についても独断的でした。次の来日公演の時にグリゴロ振付の「愛の伝説」を収録した日も、彼は夫人を主役にしました。公共放送としてのNHKは時々、「白鳥の湖」を放送します。NHKがボリショイ・バレエの「白鳥の湖」をつぎに放送した時も彼は収録の日に夫人を踊らせましせた。しかし毎回彼女の踊りだけではと考え、前日の公演をカメラ・リハーサルした時に人気のセメニャカが踊ったので、その回もビデオ収録してしまい、この舞台も一回は放送したのです。もちろんグリゴロが帰国したあとにでした。
 その後1989年と90年にNHKのスタッフが本拠ボリショイ劇場に乗り込んでグリゴロ作品を中心に10作品を収録・放送したのですが(これは最近、ビデオやDVDで再発売したとか)、この時の「白鳥」の主役はミハリチェンコでした。ということで僕はいやというほどこの版を見たのです。
 近年の世界の「白鳥の湖」はうらわさんもいうように王子の精神的な成長記録といった面 を強調することが多いのですが、この版も御多分にもれないものでした。第1幕開幕間もなく跳んで出て来た王子は、踊らない時も悩ましげな顔であちこちを歩いたりします。そしてグリゴローヴィチは今回は以前の版に多少の変更を加えていました。湖畔の場で王子が自らの心象風景を踊る場面 でロットバルトがそのうしろを王子と同じ振りで動いたりするのは以前と同じですが、今回はロットバルトが王子をうしろから抱いて文楽の人形のように動かしたりするのです。何だか意味ありげな様子ですが、グリゴローヴィチがそれなりに考えた結果 のような気もします。というのは、人間はだれにでも善悪の心がある。ロットバルトは王子の中の悪、影の部分と考えることもできるのではないでしょうか。二人が平行移動して同じ動きを見せたりするのは、王子の心の中の善悪のせめぎ合いを示唆しているような気もしないではありません。そうすると王子がオディールをオデットだと勘違いしたのでなく、何となく別 の人間だなーと思いながらも、オディールの妖しい魅力にもひかれてしまう男心を見せているようにも考えられます。王子とオディールのグラン・パ・ド・ドゥで、プティパはオディールのヴァリエーションの音楽を、「白鳥の湖」のために作られた音楽を用いないで、チャイコフスキーのピアノ小品集の中の「遊戯」という多分にのんびりした曲をオーケストラに編曲して用いました。今日でもほとんどのオディールはこの曲で踊っているのですが、グリゴローヴィチはあえて「白鳥の湖」の中の曲を選びました。それは原曲では、王子の花嫁候補の売り込みの6人の王女による「パ・ド・シス」の6人目の王女のソロに予定されていたもので蛇でも出て来そうな妖しげな曲を用いてオディールの魔性を強調しているらしいのです。僕個人としては見なれたプティパの踊りのほうが好きなのですが、グリゴローヴィチもそれなりに適切な選曲と見事な振付をしたと思います。
 グリゴローヴィチ版の最大の特色はやはりマイムを排してダンスで物語の進行を見せてしまおうということでしょう。伝統的なマイムを使わなければ具象性は薄まります。しかしグリゴローヴィチは物語性を犠牲にしてでもダンスで首尾一貫させようとのことでしょう。第一幕でも王妃をはじめとする貴族たちも音楽に合わせて荘重な揃い踏みで登場します。王妃と王子のやりとりもあまり具体的ではありません。湖の場での王子とオデットの出会いの会話もダンス中心です。これはグリゴローヴィチが「白鳥の湖」の物語やこまかいやりとりは周知のことと考えて、この古典バレエの名作をも現代バレエ並みにダンスで押し切ろうとしたのに違いありません。それはそれで立派なのですが、観客を飽きさせるようなマイナスもあると思います。
 バレエよりももっと古い歴史を誇るオペラでも昔から似たような問題が議論されています。「オペラは演劇を重視するか、音楽を重視するか」、この論争はいままでもくり返されているのですが、バレエでも具体的な物語の進行を重んじるか舞踊的な美しさを重んじるか、この両立は至難なことで、これを見事にこなした舞台が成功するのでしょう。グリゴローヴィチはマイムでなく踊りで物語を進め、メッセージを伝えようとして、かなり成功しているのではないでしょうか。近代的作舞法といえます。これはオペラ界での近代的、現代的演出にもいえることで、極めて抽象的な美術で、演技も簡素化して歌唱の見事さを押し出す方法です。近代・現代バレエを知ったグリゴローヴィチはこういう立脚点で中期のバレエを作ったのではないでしょうか。
 ところが古典バレエの見る喜びは、やはりマイムとダンスの交代により物語と舞踊を楽しみ、シリアスな作品でも華やかなことでしょう。
 さらにバレエを強調するグリゴローヴィチは、宮殿での舞踏会では、通常の名作バレエのような色彩 的な民族舞踊を見せません。スペインやハンガリー、ポーランドの踊りの部分でも民族色を薄め、花嫁候補の王女たちが長めのチュチュとトウシューズで、侍女たちを従えながらソロを踊るのです。ポアントでの舞踊でバレエシーンを見せるのです。
 通常の「白鳥の湖」は豪華な宮殿や美しい湖畔の場が楽しみですが、ここでは各場面 はモノクロームの荒々しいタッチで統一されています。先日の韓国国立バレエの公演での装置では、多分に華やぎは加えられていましたが、荒涼とした感じは残っていました。
 ということでグリゴロ版「白鳥の湖」は全編にわたって構築感を強調しますが暗いのです。先日の舞台はハッピーエンドに戻っていましたが、やはり暗く見えました。戦後しばらくの間は演劇もオペラもシリアスなほうが芸術的だとする傾向があったのですが、この舞台もその延長線上にあるような気もします。
 結論として、グリゴローヴィチ版はよくできています。でもあまり楽しくない。そして僕も大好きとはいえません。しかしこの版の壮大さや歴史的価値は認めたいと思います。
 現代はマルチ・チャンネルの時代で、いろいろなものが同時に楽しめます。そこで多種多彩 な「白鳥の湖」の存在も許され、舞踊愛好者としての僕もそれぞれの特長を楽しみたいと思っています。
 今回の舞台を見て是非を問う部分もあったのも事実です。古典は古典らしくと思う気持ちも強いのです。現にグリゴローヴィチも後期の「バヤデルカ」「眠れる森の美女」などでは古典回帰の傾向が強まっているようです。一つのバレエにも歴史があり、一人の人間にも歴史があって、時代によって変わっていくのを見届けたいと思っているのです。



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