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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.61 「僕の老後です」  
2002年8月27日
 先週のこのページでのうらわまことさんの東奔西走ぶりに目を見張りました。彼は現在のところ洋舞の舞台をたくさん見ていることにかけては日本一、いや世界一でしょう。彼は全国を股にかけてナマの舞台を見て現状を把握してこそ舞踊批評家だといっているようです。彼の体力・気力・気迫につくづく感心。
 政治・経済だけでなく文化面でも東京の一極集中が顕著ですが、地方の芸術舞踊の充実も見逃がせません。しかしおおかたの舞踊批評家は中央からなかなか出られません。東京中心に上演される内外の大舞踊団や人気スターの舞台を見るだけで舞踊論や芸術論をものにする評論家も少なくありません。うらわさんはこういう傾向を苦々しく思っているはずです。先週のこの欄の最後に「批評家、評論家としては、自分の趣味に合ったものを見るだけでなく、日本の舞踊界をよくするために積極的に発言、行動して欲しいと思います。」と結んでおられます。正論でしょう。
 こうなるとほとんどの批評家は顔色をなくしてしまうでしょう。頭に来る人も多いはずです。彼に対する批判も開きます。「売名よネ」「権力志向だ」とか「地方名士だ」とか。しかし僕はそうは思いません。彼は純粋な気持ちで日本の舞踊界を向上させようと日夜がんばっているのです。僕も陰では何をいわれているかと恐ろしくなりますが、何かをしようとすれば陰口も仕方ないことかも。
 うらわさんが見られるかぎりの舞踊はすべて見ようとの意欲を見せるのに対して、僕は彼が指摘するように「自分の趣味に合ったもの」中心にジャンルを問わず見たり聴いたりしているのでちょっと恥ずかしい気もします。しかし僕は自分のことを舞踊批評家とは思いたくないし、いまや自由人として生きているので、自分の好みが中心になってしまうのです。
 僕はテレビのディレクターでした。その間、必死に各種の番組を作り続けたのです。洋舞の番組を作る時は一日中舞踊漬けで巨視的微視的に舞踊に近付きました。そのせいか諸先輩や編集者達のおすすめもあって新聞や雑誌に舞踊について書く機会が多くなったのです。退職して自由の身になってからも舞踊を見続けたので書く場合もふえました。
 いっぽううらわさんは学生時代にバレエも習いはじめ、サラリーマンや先生の期間も踊る間に舞踊を自分の血肉とした人です。そんなわけもあって彼の舞踊に関しての発言は的確でした。そんなこともあってか十数年前に「オン・ステージ」紙が批評家を求めていたので彼を推薦したのです。そして彼の書いたものに説得力があったのでさらに書く場もふえたようで、結果 的に彼は全国区の人になりました。彼が書く内容に信頼がおけるので、余生は舞踊以外のものをもっと楽しみたいと思い始めた僕は、彼に面 倒な仕事を押しつけるようになってしまったのです。
 数年前に公文協(全国公立文化施設協会)のお仕事をやらないかとのお話があった時は、とんでもないということでおことわりし、最適任のうらわさんが引き受けてくださいました。結果 は大成功。全国舞踊連合が年に一回発行する「舞踊年鑑」の洋舞界の一年間の回顧の記事も彼に押しつけてしまいました。御一読ください。
 最近では、先週彼も書いていましたように、日本バレエ協会が開催する「全国合同バレエ」のプログラムの原稿を押しつけました。僕が一昨年、昨年と書いていたのですが、全国のバレエをナマで見ている彼のほうがいいと思って、公演のプロデューサーを説得して彼に書いてもらうことにしたのです。この公演を見ることができなかったので、まだプログラムを読んではいないのですが、もちろんうまくいったと思います。彼を信用しているからこそ押しつけたのでお許しください。
 地方の舞踊家のかたがたは、自分たちのことを全国に向け好意的に紹介してくれる人がいることは心強いはずです。うらわさんはタイムリーにこの役目を喜んで果 たしてくれています。しかしあとにつづく有為の人材が欲しいところです。若い舞踊批評家で地方の洋舞の事情にも興味を示してくれる人が現れるのを期待します。(若い舞踊家とも知り合いになれますよー!)
 今回は彼の弁護側にまわりましたが、舞踊批評家には彼と違ったタイプの人も必要なはずです。今後とも多彩 な人材が現れて舞踊界を活気づけて欲しいものです。
 さて、僕も一般サラリーマンが無職になる年齢を超えています。2000年末、即ち20世紀の終わりを期して、時間とお金の許すかぎりは自分の見たいもの、聞きたいもの、食べたいものを楽しむようにしたのです。きのうの深夜はBS2で今年6月に横浜アリーナで催された世界3大テノールのコンサートの模様を途中まで楽しみました。テレビだから無料です。もっとも受信料は払っていますけど。衰えた声でも楽しめたのはやはりむかしナマの演奏を聴いていたからかも知れません。皆さんも体力や気力のある若いうちに何でも見たり聴いたりするのをおすすめします。働いて働いて相当疲れている僕もがんばっていろんなものを見たり聴いたりしているのです。僕はうらわさんのような舞踊批評家ではなく、多くの皆さんと同じく愛好者のつもりですので、日本の舞踊界の振興を図り、発展に尽くすというよりも、一度だけの人生ですから自然も芸術もすべて、森羅万象を楽しみたいと思ってはいます。しかしなかなか思うようには行かないのが現状です。ところが楽しむうちにいいもの悪いものが見えてきます。そんなわけで批評家のつもりではなくても、批評や解説を書いたり、芸術祭などの審査や賞の選考をしたりして少しは役に立っているのです。
 先日は珍しく朝から晩までがんばりました。その一日を御報告します。昼間も時間があったので思い切って上野まで足を延ばしました。まず東京芸術大学美術館に行って「アフガニスタン、悠久の歴史展」を覗きました。アフガニスタンではタリバーンによって破壊されたバーミヤンの仏像以外にも多くの遺産が失われています。この展覧会では難を逃れた仏像などの優雅な姿を楽しむことができました。シルクロードを何回も往復された日本画家の平山郁夫さんの現地でのスケッチもたくさんありました。彼が画いた後にも破壊は続いたのです。偶像を排する宗教的理由ですが悲しいことです。文化財の保護について考えさせられました。
 このあと、お隣りの都美術館に足を延ばして「飛鳥・藤原京展」を見ました。古代の人たちが日本という国の枠組みを作りあげた元気な時代の光と影が見えてきます。若いころNHKの友人と連れ立って飛鳥村に行ったことを思い出しましたが、あのころと比べると古代史研究がものすごく進歩しているのを実感させられました。昔のペルシャから伝来したと考えられるガラスの美しさにびっくりしたりもしました。
 もうひと頑張り。上野から地下鉄銀座線で三越前へ。三越の7階の催物場での「掘りたて恐竜展」です。中国の重慶の博物館からの恐竜の骨格等々です。さっきの二つの展覧会で千年二千年前の古い文物に感心したのですが、ここでは一億年前という想像もつかない昔に生きていた恐竜の骨が組みたてられていました。一つの骨だけ触ってもいいということでちょっと触ってみました。新発見のナントカサウルスの骨もあったりして興味をそそられました。幕張メッセのセイスモサウルスを見に行きたいのですが実現できますか…。
 そして夜になってこの日の最終目的である長嶺ヤス子公演「妖花かつらぎ」を見に国立劇場の大劇場に辿りつきました。フラメンコ出身の長嶺さんは日本に題材を求めた舞台も多いのです。彼女は舞踊批評家たちには無視されたり冷遇されたりすることが多いのですが、一般 的な人気は衰えず、それなりにアピールした舞台を見せました。フラメンコの音楽と違って長唄で踊るので、破目が外せず、大変だったようですが、近年はこの難事にも慣れたようで、かつての奔放さは失われたものの別 の迫力もありました。このことはどこかで書いてみたいと思います。
 ということで、体力が失われてきた僕にとっては相当にハードな一日だったのですが、実りの多い一日でもありました。最終的には踊りを見ることで一日を終えましたが、自由に踊りつづける長嶺さんの気持ちも自由人として少しはわかってきたような気もしたのです。舞踊からは離れられませんネ。



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