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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

藤井 修治
 
Vol.66 「コスモスもそろそろ終わります」  
2002年11月5日
 先日、たまたま朝日新聞の川柳欄をのぞいたらとりあげられていた7句のうち最後に「倒れても咲くコスモスに励まされ」という句に励まされました。挫折してもがんばろうということでしょうか。この日の5句目には「お見合いは作業服でと子にすすめ」とありました。いわずと知れたノーベル賞受賞の田中さんが記者会見に作業服のまま登場して好感度をあげていたことに発想した句でしょう。ジャーナリスティックでほほえましい句ですがこの句がアピールするのは一時期です。それに対してコスモスの川柳は長持ちするような気もします。
 季節の言葉が必須のものである俳句では、コスモスは仲秋の季題のようです。コスモスはギリシャ語かラテン語で宇宙とか調和とかの意味があるそうです。メキシコ原産ということですが、いまでは日本中で見られます。秋桜という呼び方もあって、たしかかつてのアイドルのヒット曲もあったと思います。コスモスの名句に「コスモスの倒れぬ はなき花盛り」「コスモスのおよそ百輪色同じ」などがあり、コスモスの習性を見事にとらえています。コスモスも俳句になると芸術的に見えてきます。ところが第二次大戦後間もなくに「俳句第二芸術論」という説が出て大議論になったことがあります。俳句が五七五と17文字しかないので表現される内容が小さい少いということでしょうか。でも僕は五七五の制約があっても万羅万象を大きくも小さくも描けるものと思います。短歌の五七五七七で人間の深い感情まで表現できるのもすばらしい。俳句と和歌は日本独自のすばらしい文化だと思います。
 ついさきごろ暑い暑いといっていたのがもう冬の洋服を出して来なくてはなりません。きのうの11月2日に東京地方に木枯(こがらし)一号が吹いたとか。木枯といえば冬の季語のはずです。木の葉を飛ばしてしまうような強い季節風のことだそうですが、夏の終わりにごぞんじの名歌「秋来ぬ と目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」から、もう冬の季題の「木枯」が来てしまったのです。がっくりもしますが、晩秋から冬への風物を楽しむことができる季節になったのかなとも思います。葉の落ちきった木の枝ぶりを見るのもすてきです。枯れ木の美しさ、楽しむことは欧米ではないことでしょう。むかしは中国などでもこういう淋しい風景や情緒を楽しむ風潮があったようですが、いまのところはこういった風情を好むのは日本だけかも知れません。これは誇ってもいいことだと思います。
 ところでコスモスを見に昭和公園でも行って見たいと思っている間にもう終わりに近いみたいです。でも日本は一年間何かが咲いているありがたい国です。そして名所でなくても道ばたに咲いているのも嬉しいことです。ただしこういった情緒を楽しめるようになるにはそれなりの心がけが必要だと思います。そして何もハレの場でなくても日常の生活に美を求め発見することがあってこそ、ハレの場、劇場の舞台を見てその真髄を楽しむことができるのだと思っています。
 きょうの朝、うちの近くの道を歩いていたら、近所のお庭の椿が咲いているのが見えました。秋だから山茶花(サザンカ)かとも思ったのですが、花の型、葉の型は有名な「侘助椿」(ワビスケツバキ)のようです。もう咲いているんですか。地球温暖化とかなんかで咲いているんでしょうか。お玄関に行ってピンポーンと押して聞いてみようかと思いましたが恥ずかしいのでやめました。でも花をちょっと触ってしまいました。触わっただけですよ。駅までのもっと賑やかな道でもいろんな人々が丹精した花木や鉢植えのお花を見て季節の変化を実感できることもあります。
 花でなく秋は葉っぱもすてきです。このところテレビでタレントさんたちが紅葉(モミジ)の名所を訪ねて温泉に入ったり山海の美味珍味を味わっています。昔はタレントっていいなーとうらやましがったりくやしがったりもしましたが、もうあちこちとび廻る元気はなくなってきました。とうてい行けないところもテレビで楽しませていただいているという感謝の気持ちになって来たようです。
 秋の葉っぱの一番人気は楓(カエデ)の紅葉(モミジ)です。もみじというのは多種多様な落葉樹が秋になって赤とか黄色とか茶色に変わって行くことをいうようです。われわれがふつうもみじといっているのは楓の真赤な紅葉です。いちょうの黄色なども人気がありますね。外国の晩秋はどちらかといえば黄色い葉の木が多いようですし、日本でも万葉の昔は黄色中心だったとか。ところが平安時代に京都に都が移されて京の楓の紅葉が一躍スーパースターになったらしいのです。「源氏物語」の中の「紅葉の賀」の場面 は若い時の光源氏が友人の頭中將と二人で舞楽を踊るシーンです。歌舞伎の「源氏物語」では、40年以上も前、今の団十郎のお父さんにあたるエビ様(市川海老蔵)と最近襲名したばかりの松緑のおじいさんの尾上松緑とによる紅葉の下での男のデュエットがとにかく美しく僕がいままで見たあらゆる舞台芸術の中でも最も魅力的な舞台でした。この時、歌舞伎座に連れて行ってくれた亡き母に感謝しています。能からとられた歌舞伎舞踊の「紅葉狩」も豪華な舞台です。実は僕はNHK時代にバレエにしたら楽しいと思って企画を提出したのですが、お金がかかりすぎるとかで認めてもらえませんでした。「紅葉狩」 といっても紅葉の枝を伐るわけでなく、紅葉を見ながらの宴会ですね。つぎつぎに踊りが展開されるディヴェルティスマン風な部分もあります。歌舞伎とバレエの共通 点と相違点を考えての企画だったつもりです。
 何故紅葉狩りというかは、森を歩くので狩りといったとか、実際に枝を狩りとったからとかの説もありますが、現代では桜や紅葉を切ってはいけないのは当然のことですね。でも触って見るぐらいはいいことだと思います。さて、桜は春、紅葉は秋、両方を何とか同時に見ようとの工夫があります。それは、「雲錦(ウンキン)」です。京都の京焼とか清水焼(キヨミズヤキ)といわれる陶磁器に多いようですが、一つのお皿や壷や丼に満開の桜と真赤な楓が同時に描かれているのです。渋いお茶道具の中では雲錦の抹茶茶碗の華やぎは人生を楽しくしてくれます。「雲錦」の名称の由来は昔の言葉で「花の雲、紅葉の錦」から来ているのだと思います。実は、洋物育ちの僕ですが、たまたま雲錦に魅せられて、しばらくの間集めたことがあります。しかし先日思い切って妹に全部譲ってしまいました。実は置く場所もなくなって来たので…。でも妹(といっても僕の妹だから相当の年齢です)はとても喜んでこの紅葉の季節、座敷や出窓に起伏をつけて並べたり、実際にも使っています。バランスをとりながら並べるとバレエの振付をしているようです。器の間には桜の花びらや紅葉のデザインの箸置きを散らしたりしたのも華やかだし雅びでもあります。あんまりお金持ちでなくても考えかた次第で気持ちだけは豊かになるのです。僕は来年の桜を何とか見たいけれど秋の間に少しでも見られたのでホッとしています。
 さてこれも1日の新聞で、絶滅が心配される植物の種類がふえたとの報道がありました。高山植物だとか極地の植物だけではないようです。以前に国際自然保護連盟が発表していたのは地球上の植物の13%が絶滅の危機にあるということでしたが、今回アメリカの大学や植物園の研究グループがまとめた結果 、地球上の植物種のうち22~47%もの種類が絶滅の危機にあると結論したそうです。僕は動物の朱鷺(とき)とかイリオモテヤマネコのようにもう個体が少ない動物のことはよく報道されるので知っていましたが、植物のほうはあまり知りませんでした。でも22%~47%とはショックです。これについてはいろいろ議論はありましょうが、結局は人間が悪いような気もします。ポピュラーな植物はなかなか絶滅しないでしょうが、もし見なれた花が見られなくなったらどうしましょう。もっともこっちのほうが先にいなくなっているでしょうけど…。
 美しい花を見ることは人生の喜びです。美しい舞踊もそうです。歌舞伎や日本舞踊には美しい花と踊りが両立しています。日本のモダンダンスにもかつてはそういった小品がいくつもありました。ところが近年コンテンポラリーっぽいものに押されて少くなってしまったようです。花になってのダンス、花に托して自らの心象風景を踊ったりするダンスなどは、本物の花より先に絶滅してしまうのでしょうか。優れた感性の舞踊家がこんな作品を作ってくれたら、外来の舞踊の物まねでなく、日本独自の魅力を武器に世界に向けてアピールできるかも知れないと思ったりもしています。



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