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幕あいラウンジ バックナンバー

うらわまこと
 
Vol.40 「グローバル化のなか、ますます重要になる[日本的なもの]
  活発な名古屋の関山、松岡公演に思う」  
 
2001年10月22日
 

 いつも言ったり書いたりしていることですが、名古屋地区の舞踊界は、質量 ともに大変に充実しており、とくにクラシック系は人口比にすると首都圏を上回るほどの活況を示しています。ただ東京との違いを探してみると、次の点に気がつきました。それは東京では、たとえばPlanB、テレプシコール、パークタワー、スフィアメックス、あるいはセッションハウスさらに森下スタジオといった、いろいろと自由な試みのできる「民間」の小ホール、スペースがたくさんあり、そこで数多くの個人や小グループがダンスやパフォーマンス公演を行っていることです。
 名古屋地区で舞踊にかかわる劇場、ホール関係の状況が全体としてどうなっているか、詳しいことは分かりませんが、愛知県芸術劇場を筆頭に優れた劇場は大阪や京都に比較しても遜色なく、あるいはそれ以上に充実しています(大阪でも少しづつ増えてきていますが。)。ただ東京と比べると、他の地区は上に挙げたような舞踊向けの民間の劇場、ホールがあまりないように思います。
 つまり、地方(という言葉はあまり好きではありませんが)と東京との違いは、公的、民間を問わず先駆的な活動を行う団体や個人のためのスペースが少ないことです。
 実は、あまりあちこちで数多く舞台があると、日程の重複が多くなるばかりで、その全部を見ることはますます難しくなり、個人的にはあまり有り難くはないのです。しかし、小さなグループ、新しいダンサーが比較的気軽に使える、しかもダンスに理解のある経営者やプロデューサーのいるスペースがたくさんあることは、舞踊界の活性化のためには望ましいことです。
 このような、全国ダンススペース事情といった問題も少し調べてみたいと思いますが、今回のテーマはこれではありません。

 最初に述べた、充実した名古屋地区で先日連続して拝見したモダン、クラシックの2つの公演で感じたことをお話ししよう思うのです。
 その公演とは、関山三喜夫舞踊団(10/12)と松岡伶子バレエ団(10/13)によるものです。メイン作品はそれぞれ「オイディプスの涙」、「あゝ野麦峠」です。これだけでは何の話か分からないでしょうが、それを先にいうと[日本的なもの]ということです。
 現在、国際化とかグローバル化ということがいわれています。この意味するところはいろいろありますが、その中心となるのは人や情報の交流が盛んになることでしょう。こうなるとどういう現象が生まれるでしょうか。ひとつは同一化です。たとえば、衣、食、住、娯楽などの生活のスタイルは、地域や国による差がどんどん少なくなっています。芸術も例外ではありません。交流はますます進むでしょう。
 ただ、ここで重要なのは、芸術も同一化、画一化してよいかということです。たしかに音楽や演劇、舞踊というジャンルでは、いわゆる西洋芸術が世界的な広がりをみせています。しかし、そうなればなるほど、それぞれの国、民族、地域の持つ固有な、伝統的な芸術文化が尊重され、継承される必要があると思うのです。
 それは、純粋な形のものだけでなく、西洋と東洋、日本との融合、あるいは西洋の様式のなかに[日本的なもの]を注ぎ込んでいくということでもあります。
 この意味で、先の2つの公演はいろいろと考えさせられるものをもっていました。
 まず関山さんの公演では、第1部が「花・鳥・風・月」として日本的な感覚をもつ作品を並べ、とくに「山姥」では日本舞踊の山路曜生さんの按舞・指導を受け、山路さんの踊った作品を関山さん自身がモダンダンスのスタイルで演じました。
 さらに第2部ではギリシャ神話に題材を借りて、実の父を殺し、母と交わり、糾弾され追放されて娘(松宮莉花さん)と放浪の旅に出るオイティプス(関山さん)の悲劇を、手法の基本はモダンダンスにおきながら、和風の衣装、そして娘との関係なども日本的な感覚で描いています。久しぶりの再演ですが、子役なども上手く使い、要点を整理してなかなか分かりやすく、しかも感動的な場面 を作り上げていました。
 松岡さんの公演は、「レ・シルフィード」(これも団員のレベルの高さを示すいい出来でした)とともに、山本茂実さんの名作文学「あゝ野麦峠」のバレエ化です。これも改定を繰り返し、今回は愛知県芸術劇場の大ホール、大きな舞台での上映です。太平洋戦争中、家族を離れ劣悪な条件の下で働かされる幼い織子たちの悲劇を描いたこの作品は、そのテーマ、メッセージ性からいっても、ぜひ多くの人に知ってもらいたい内容を持っています。
 これを松岡さんは、もう語り草となってる、多数のダンサーを使ってしかもほとんど手の動きだけで織機の動きを表現する名場面 とともに、若さのもつ明るさなども織り込みながら、国全体が戦争に追い込まれていく状況を、そのなかで2人の織子(安藤有紀、大岩千恵子さん)に焦点をあて、それぞれの悲劇を浮き彫りにします。クラシックの技法を使い、リアルながら比較的シンプルで動きやすい衣装、踊りとドラマの見せ場も巧みに配分されており、見応えのある舞台でした。
 この2つの作品にはそれぞれ特徴があります。「オイティプス」は、ギリシャ神話をモダンダンスの技術を使いながら日本的なセンスで処理しています。一方「野麦」では日本の社会的な題材をクラシックの技法を使って作品化しています。つまり、同じ日本的といっても、創作の姿勢、作品のコンセプトは対照的といってもよく、日本的なという作品作りにもいろいろな方法があるということです。「オイディプス」もそうですが、とくに大作の「野麦」は海外でも大いに受けるのではないでしょうか。
 これからグローバル化のなかで海外の作品や舞踊団体と勝負するには、とくに海外に進出するには、やはり日本的なもの、少なくとも海外にはない日本的な感覚で勝負しないといけません。これは古典でも同じです。前にもこのページで書きましたが、森下洋子さん、若手では酒井はなさんなどは、西欧のダンサーにはない感性、表現力をもっていると思います。
 新国立劇場あたりでも、バレエ、モダンとも、ぜひこういう意識で作品を作り、ダンサーを育成して欲しいものです。そしてそれを武器にどんどん海外に出ていきましょう。




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