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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

うらわまこと
 
Vol.53

コンテンポラリーとは  

 
現代人に受ける4つの要素」       
 
2002年4月30日
 

 NBA(日本バレエアカデミー)バレエ団、コンテンポラリー・ダンシングセッションを見ました(4月21日、なかのゼロホール)。このバレエ団は、私もいろいろなところで紹介しておりますが、昨年の1月にバレエ界ではじめてNPO法人(特別 非営利法人)の許可を得、広く積極的に活動を続けています。「俳句へのイマジネーション」とタイトルされたこの公演は、俳句をひとつ取り上げ、それを題材として、あるいはそれに触発されて創作にチャレンジするもので、団員、外部への委嘱、そしてオーディションによるものなど、11作品が発表されました。
 ここでこれらの作品の批評をしようというのではありません。この公演をみていて感じた[コンテンポラリー]ということについて少し考えてみようと思うのです。コンテンポラリーとは辞書をひけば、現代の、当代の、という意味をもっています。これをそのままとれば、コンテンポラリーダンスとは現代舞踊です。さらにこの公演のタイトルは、現代の踊りの場ということになるのでしょうか。つまり、現在踊られている作品というとやや広すぎるかもしれませんが、現在作られたものはみなコンテンポラリー作品だということになります。
 しかし、これは舞踊界一般の認識とは少しずれているかもしれません。というのは、「コンテンポラリー」とは主としてバレエでなく、ダンスの分野で用いられており、しかもあるていどスタイル的な規定がされているように思えるからです。ただし、ここでいうバレエとかダンスという言葉そのものが人によって意味するところが違うので、正確に表現するのは大変に難しいのですが、たとえば、西田堯さんや折田克子さん、アキコカンダさんの作品は新しくつくられた作品でもコンテンポラリーダンスとはいわないでしょう。当然ながらこれは作品の評価とは別 です。
 また、島崎徹さんや矢上恵子さんの作品も、古典とは全く異なる感覚で、しかもトウシュウズを履いていなくてもコンテンポラリーダンスとはまずいわないと思います。
 もちろん、呼び名や区分などはどうでもいい、大事なのは作品そのものだ、というのはまさに正論であり、むしろ私もそういってきているのです。たとえばフラメンコだってジャズダンスだっていいものはいい、と。
 ただ、いいものはいいの「いい」作品、あるいは「多くの人に共感をうる」作品をつくろうとするのには、「コンテンポラリー」の意味を考えるのもひとつの方法ではないかとも思うのです。コンテンポラリーとは、コンとテンポラリーから成り立っており、それは今、その場と共に、時の流れにそって、という意味になるのです。つまり、たんなる現在でなく、「時の流れのなかでの今」ということです。

 さて、ここで少し、具体的な作品について考えてみましょう。この1~2カ月、いわゆるコンテンポラリーといわれるいくつかの団体の公演を見ました、そのなかでも、朝日舞台芸術賞をうけたような<大物>でなく、もう少し若い、しかしきわめてユニークで多くの観客の支持を受けている団体をとりあげてみます。それは2月のダンスシアタールーデンスの「Distance」、3月の珍しいキノコ舞踊団の「フリル(ミニ)wild」、4月のイデビアン・クルーの「暗黙の了解~後編~ five」、そしてコンドルズの「ヤングマン」です。これらはそれぞれ順に岩淵多喜子さん、伊藤千枝さん、井手茂太さん、そして近藤良平さんという、優れた才能が主宰し作品を提供しているのです。
 これをひとまとめにして論ずるつもりはないのですが、あえて共通の要素(特徴)をあげると、次の4点があります。
 まず、1,日常のしぐさや人間関係をさりげなく、あるいはディフォルメしてとりあげていること。そして、2、意識して、あるいは図らずしてユーモアやアイロニー(皮肉)をただよわせていること。さらに、3、音楽はわりにレトロ懐古的な、知られたものを使う場合が多いこと。もうひとつ、4、ダンサーがあまりうまくないこと(どちらかというと素人っぽいこと)です。つまり、演劇的な要素が強いのです。例をあげる余裕がありませんが、これらを観た方はあるていどは同感されるのではないでしょうか。
 これとは別のタイプもあります、ひとつはこの時期にあった永谷亜紀さんのように、かっこよい激しい踊りが売り物のタイプ、もうひとつはコンピューターや映像を使うたとえば北村明子さんのグループのタイプです。もちろん、それぞれのグループごとに個性があり、さらに同じ作家でも作品によっても傾向が異なる場合のあることはいうまでもありません。
 ただ、とくに前にあげた4つの特徴は、バレエ界や、いわゆるモダンダンス畑のかたには大事なことだと思うのです。つまりいいかえると、このような要素がなさすぎるのです。よくいえばまじめすぎて遊びがないのです。たしかに、バレエ、モダンダンス系のダンサーは技術はたいしたものです。しかし考えすぎるというか、まともすぎるというか、よく私のいう3K(暗く、禁欲的できつい)なのです。率直にいってこのたびのNBAバレエ団の公演での作品にもまじめすぎる傾向があります。俳句をテーマにしているのですからもっと遊んでもよかったのではないでしょうか。上の4つのグループの舞台は、まさにこれとは正反対のものです。極端にいえば、軽さの魅力、だれにでもできそうな魅力が支持されているのだと思います(決していいかげんにやっているというのではなく、そのような魅力があるといっているのです)。これが現代に流れているひとつの特性ではないでしょうか。
 まねをしろといっているのではありません。じっくり組み立てた重厚な作品、人間のドラと正面 から向き合った作品もぜひ見たいのです。ただ、舞踊における現代性を考えるとき、ここに述べたような要素もあるということ、そしてなぜそれが受けるのかを考えてみることも必要ではないかということです。




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