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ニュース・コラム

幕あいラウンジ バックナンバー

うらわまこと
 
Vol.69

「人間的、非人間的動きを超えた面白さ

 
ー加藤みや子とケースマイケルー」
 
2002年12月26日
 12月に入ると、とくに後半にはバレエの世界では「くるみ割り人形」一色になります。ところが今年はそれに加えて中旬にいろいろと興味深いコンテンポラリー系の公演がありました。
 まず、イーストギャラリーでの加藤みや子さんの「サンドトポスー砂場の話ー」では、笠井叡さん、伊藤キムさんとの異色のトリオが、また彩 の国さいたま芸術劇場ではローザスの「FASE」。そして新国立では勅使川原三郎さんの「Raj Packet・」。さらに新国立の主催ではありませんが、小ホールでドラスティックダンス0の「女・完結編」が「12人のフリーダ・カーロと3人のディエゴ」というサブタイトルで行われています。フリーダ・カーロについては、奇しくもそのすぐ後におなじ新国立の中ホールでフラメンコの岡田昌巳さんが上演したということは、前にこのページで報告してあるとおりです。もちろん、現代舞踊(モダンダンス)系も負けてはいません。大御所西田堯さんが明確なメッセージをもった「しゃぼんだま飛ばそ」をセシオン杉並で、そして2日間にわたった俳優座でのモダンダンス公演では若手を主体に9本の作品が発表されました。大駱駝艦でも壷中天で若手の作品の今年度の総決算ともいうべき「ブトウ・フェスティバル」を賑やかに開いています。
 ここにあげたのは中旬だけで、その前後には現代舞踊協会公演、石井漠没40年メモリアル、辻元早苗さん、神戸の藤田佳代さんのところの菊本千永さんなどが上旬に。さらに下旬には金井芙三枝さんが大勢のお弟子さんをプロデュースした「モダンダンス秀作展」、また藤里照子、山田奈々子、和田寿子さんの超熟女によるダンスTNT、そしてさらに押し詰まって上田遥さんのタンゴと目白押しです。
 バレエでも「くるみ~」以外に上旬には竹内ひとみバレエ団、松岡伶子バレエ団が「ドン・キホーテ」。そして赤穂浪士討入り300年で東京バレエ団の「ザ・カブキ」が上演されています。
 いろいろと羅列してきましたが、実際に全国ではこれプラス20種類を超えるであろう「くるみ割り人形」があり、それ以外のここにあげなかったものを含めて、今年も12月まで舞踊は活況を呈しています。
 
  ただ、これだけ書いても、「多いね、すごいね」で終わってしまいます。「くるみ~」のことはシーズンが過ぎてから改めて触れることとして、ここでは、最初に取り上げた2つのコンテンポラリー公演について記すことにします。
 それは加藤みや子さんの会と、アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルさんの率いるローザスです。私はこの2つは、ダンスの両極端のスタイルを示しているように感じたのです。この両方を見た方は少なくないとおもいますがどうお感じでしたでしょうか。
 これをひとことでいうと、前者は自由な個性の発揮、人間らしさをベースとした作品づくりであり、後者は徹底的に削り込まれた動き、計算され、規制された動きに本質があると思うのです。
 加藤/笠井/伊藤プラス若手男性2人、そしてチェロの演奏(古川展生さん)によって深く掘った砂場とその回りの回廊で繰り広げられるパフォーマンスは最初こそ一定のルールというか秩序のなかで融合的、対立的に進められてきます。それが途中から笠井さんのソロが彼一流の自由な恣意的なうごきに変わり、それが激しさを増すにつれてやや参ったといったような表情もアグレシブに生き生きとしてきます。こうなると観客には挑みかかるは、サンサーンスの「白鳥」では奇妙な踊りを踊ったりで、客席を完全に彼の世界に引き込んでしまいます。最初は動と静という対立軸上にあった伊藤キムさんも自分のスタイルを持ちながら「じゃ、付き合ってやるか」といった感じで彼に絡んだりします。いつもは知的な加藤さんも次第に稚気を見せ始めます。自分でも収拾がつかなくなった笠井さんは表情豊かに観客を散々はらはらさせ、面 白がらせました。まさに支離滅裂の楽しさでした。しかし、笠井さんの1人舞台のようでしたが、伊藤、加藤のご両人がいることによって彼の存在がより明確になったのです。ここには、当然こうなるだろうという作者の意図、計算があったことは事実でしょう。
 これに対してローザスの「FASE」は、ミニマルミュージックのスティーブ・ライヒの4つの曲を使った作品で、動きも非常にミニマライズされています。ダンサーも2人だけ、1曲はソロです。たとえば最初の「Piano Phase」では、白いワンピースにスポーツシュウズのアンヌとミシェルーアンヌ・ドゥ・メイが並んでほとんど同じ形の単純な動きを繰り返します。よく見るとそれはいくつかのパターンをもち、少しづつ変化しているのですが、そのサイクル自体がやや長い周期で反復されているのです。2人は同じ動き、あるいは対称的な動きをしていますが、微妙にそれぞれのテンポを変えたりしています。他の3曲も動きのパターンこそ違え、基本コンセプトは同じです。
 確かにミニマルな音楽に合わせて動きを作るとこのようなスタイルになってしまうのでしょう。でもこの非人間的な動きや構成をえんえんと繰り返すなかで、やや疲れたような、うんざりしたような表情がみえたり、機械的な動きにちょっとした破綻が生じ、あわてて修復しようという素振りなどに人間的なものが垣間みえて、ほっとさせられる部分もありました。
 人間的なもの、機械的なもの、それの典型のようなこの2つの作品ですが、たんにそれだけに徹するのではありません。前者は演者の興にまかせた動きや観客の反応に触発される動きを計算する部分があり、後者は予期しない機械的動きの崩れを織り込むというプロセスがあって、それぞれの面 白さが深まるのではないかと思いました。
 ここにライブの醍醐味、価値があるのでしょう。

 




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