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幕あいラウンジ バックナンバー

  2004.6/9
「熊川版「コッペリア」に感心しました。」

 先日、Kバレエカンパニーの新作「コッペリア」を見て感じるところがありました。御存知のように熊川哲也の率いるカンパニーの舞台です。熊川が英国ロイヤル・バレエのプリンシパルの地位を捨ててまでして設立したこのグループは、短期間のうちにめざましい発展を遂げ、名作バレエだけでなく近代バレエや創作をも上演して、早くもメジャーバレエ団の仲間入りを果たしています。
 新しいバレエ団が上演するにはさまざまな困難がつきまとう19世紀の名作も、すでに「ジゼル」「眠りの森の美女」「白鳥の湖」を上演し、今度は「コッペリア」です。「ドン・キホーテ」の主役バジルなどでロンドンのバレエファンの人気をさらった彼ですが、意外なことにロイヤル・バレエでは彼が日本で上演した4つの名作の主役は踊っていません。というより踊らせてもらえなかったのでしょう。男性バレエダンサーとしては王子役は踊りたいはずです。そのためか彼は在英中から、向こうで踊れなければ日本でと、日本バレエ協会や谷桃子バレエ団などの公演のゲストで王子役や「ジゼル」のアルブレヒトを踊っています。6年前の新国立劇場のこけら落とし公演でも「眠れる森の美女」の王子を先輩の吉田都を相手に踊っています。この舞台は自分で踊る部分はカッコいいのですが、観客を無視したようなマナーが気になりました。しかしこれは若さの特権でもありましょうか。彼はテレビ番組でも、日本のバレエ界の先輩たちのバレエをどう思うかとのインタビューに答えて「自己満足ですね」と一言で切り捨てていたのにびっくりした記憶があります。ちょっとショックでした。こうなるとミーハーな僕は彼の舞台を好意的に見られなくなったほどです。
 ところが彼がカンパニーを結成してつぎつぎに振付した作品、踊った舞台を見ているとその急速な成長、充実ぶりには目を見張らずにはいられなくなったのです。
 21世紀に入ってたてつづけに制作初演した名作「ジゼル」「眠れる森の美女」「白鳥の湖」につづいて今度は何かと期待もしました。
 グループを結成した当初は、彼の個人的な魅力や超絶技巧に頼っていたように見えた公演も、次第にどころか急速に内容的な充実を見せていたのです。彼はロイヤルバレエでは踊ることができなかった「ジゼル」や「眠れる森の美女」などの舞台をぼんやりとは見ていなかったのでしょうね。伝統的な振付、演出を守りながらも、それなりの工夫を加えて自己主張さえ見せているのです。名作をそれだけでなく21世紀の観客にも納得できるようにとの創意さえ見せます。これはいかにも楽しそうに見える彼の心中にそれなりに悩み苦しんだあげくに得たバランス感覚がもたらすものでしょう。そして今回の「コッペリア」は?
 「コッペリア」はドイツの怪奇作家として知られるE.T.Aホフマンの「砂男」をもとに作られていますが、そこはバレエのこと、明るく楽しい面を前面に出して作られたバレエです。そしてこれは熊川哲也にわれわれが期待するものと一致していたわけです。今回の舞台を見ると想像どおり面白い舞台ですが、まずは主役フランツを踊る熊川に目が行きます。すでに日本での彼の度重なる王子役での充実ぶりもさることながら、フランツ役は一般観客の彼に対するイメージとぴったり重なっていて、視覚的にも演技的にも最適役といえましょう。高い跳躍やスピーディな回転。歯切れのよい身のこなしに加えて一つ一つの丁寧な動き、さらに自分の見せ場でないところでもちゃんと美しくポーズしたり演技したりするなど、彼の進境が披露されていました。これは彼が自分のカンパニーを引率しているという自覚からも来ているのでしょう。こんなことは当然といえば当然でしょうがかつての彼からは想像できなかったことでした。
 しかも熊川版で何よりも感心したのは全体の構成・演出です。134年も前に初演された古いバレエを現代の観客に飽きさせずに楽しませようとの努力が随所に見られました。実は今回このことをこの欄に書くつもりはなかったので何となく見過ごしたまま10日もたってしまったので忘れた部分も多いのですが、幕を追って彼の創意を思い出しながら具体的にこの舞台を検証してみましょう。
 第1幕は幕があくと舞台左のスワニルダの家から登場したスワニルダが右の人形作りコッペリウスの家の2階で読書しているコッペリアを意識して踊るワルツがあります。通常はこのソロがスワニルダを紹介する場面になり、彼女が恋人のフランツがコッペリアに気があるようなのでヤキモキしているしている様子をも見せるのですが、この演出ではコッペリウスがノコノコと出て来て、メジャーでスワニルダの身体の採寸をするのです。これは彼が老人ながらロリコンでピチピチしたスワニルダに恋心を感じ、新しい人形をスワニルダにそっくりに仕上げ可愛がろうという下心を見せます。この設定はローラン・プティ自作自演のコッペリウスと同じですが、こちらはもっと愛敬があります。
 コッペリアが人形とは知らずに興味を持ったフランツとやきもちをやくスワニルダのすったもんだ。フランツの本心をためす麦の穂の踊りのあと、熊川版では第3幕の戦いの踊りの音楽を用いてフランツのソロを挿入して観客を満足させるのを忘れていません。
 民族舞踊は第1幕でポーランド風なマズルカとハンガリー風なチャルダッシュがありますが、熊川版では舞台設定をポーランドの一地方でなく、ヨーロッパのどこかということにしているので、マズルカも郷土色を押し出さず、あくまでもバレエの中のダンスにしていますし、チャルダッシュも、この辺のジプシーたちが踊るという趣向が巧妙です。ということでことさらに民族色を強調せずに背景に普遍性を与えようとしています。ここでもフランツがジプシーの男女ペアの女性と踊ったりすると、スワニルダやジプシーの男もちょっとすねたりする演出も新機軸でした。
 第2幕の冒頭は、第1幕の幕切れにスワニルダと友人たちがコッペリウスの家に潜入する場面を受けて、幕前にコッペリウスの家の2階への階段があり、スワニルダたちが抜き足さし足で昇っていくのを見せてから幕があがり、2階のコッペリウスの部屋につなぐなども親切です。眼目の人形振りなどは伝統的な演出を生かしながら演技の緻密さで見せるのも正解でした。
 第3幕はすでに主役2人の物語は決着がついているので、ダンスシーンが続くのですが、現代人に多少冗長になるのを避けて短縮を敢行したようです。そのためにこの幕の前半、一日の時間の推移を視覚化する場面が不明確になったのは仕方のないことでしょう。「時のワルツ」は12人の女性陣が時計の文字盤のように円陣を組んで一人ずつ右まわりに回転したりする演出が多いのですが、ここでは8人の女性が踊るのでオヤ?と思っていると後半に4人が加わるのでヤレヤレ。気をもたせるのも一つの手法でしょう。
 このバレエが初演された1870年は、まだグラン・パ・ド・ドゥ形式が確立されていない時代なので、熊川版も形式は流動的です。主役スワニルダとフランツの平和のアダジオのあと2人のヴァリエーションの合間に「コッペリア」の作曲者ドリーブのもう一つのバレエ「シルヴィア」からの2曲を引用して、女性のソロと5人の女性による踊りが挿入されています。スワニルダのヴァリエーションのあとコーダなしに直接フィナーレにつながり、主役をはじめ全員がつぎつぎに踊りまくるという予定調和の世界を見せます。その間に通常はとかく無視、軽視されがちなコッペリウスもお金をもらって機嫌を直して愛し合う二人の祝福に加わっています。
 カーテンコールはフィナーレの音楽をくり返しての緻密な作りで、最後にコッペリウスに扮したステュアート・キャシディが中央に登場します。これは2人にハッピーエンドをもたらしたのがコッペリウスだという意味と、ロイヤル・バレエを熊川と同時に脱退して今日まで行動を共にしてくれたキャシディに感謝の意味も込めていたと思うのは読みすぎではないと思います。
 この「コッペリア」の全篇を通じ、振付者でダンサーの熊川哲也の驚異的な成長が見えたのが印象に残りました。舞踊の舞台には、舞踊家の人生観や舞踊観・人間性が反映します。その点でこの「コッペリア」はまだ若い熊川一人で考え作ったものとは信じられないほどでした。優れたブレインがいるのかとも考えられますが、それはそれでけっこうなことです。彼がロイヤル・バレエを離れて独立したことに多分の危惧を抱いていた僕ですが、この「コッペリア」を見て、このほうが日本のバレエのためになったとさえ思ったのでした。