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ニュース・コラム

舞踊評論家・うわらまこと氏の連載コラム「幕あいラウンジ」

幕あいラウンジ・うわらまこと

2009.6/12
 
ミュージカル『アンデルセン』を観て思ったこと
―こんな見方、あんな見方―
 
●バレエダンサーとミュージカル
 先日、といってももう1ヶ月ほど前(5月13日)、劇団四季のミュージカル『アンデルセン』を観てきました。
 これはフランク・レッサーの作詞・作曲によるハンス・クリスチャン・アンデルセンを描いたミュージカルで、 もう50年も前になりますが、たしかダニー・ケイがアンデルセンに扮した映画を見た記憶があります。「ワンダフル・コペンハーゲン」などよく知られた音楽がたくさん聞かれる楽しい作品でした。
 今回、なぜ観に行ったかというと、劇団としては再演ですが、酒井はなさんが出演していたからです。ミュージカル、とくに映画には一流のバレエダンサーが出演するのは昔からあったことで、有名なのは『赤い靴』のモイラ・シャラーさんはじめ、ジジ・ジャンメールさん、ジャック・ダンボアーズさん、最近でもない?ですが『ホワイト・ナイツ』のミハイル・バリシニコフさんも話題になりました。もちろん、これは映画で舞台ではないのですが、ミュージカルの舞台にも出演しているダンサーも少なくないでしょう。
 日本ではミュージカル映画が少ないので、バレエダンサーをスクリーンで見る機会は、草刈民代さんなどのほか、あまり多くありませんが、むしろシリアスなドラマに、西島千博さん、舞踏の田中泯さん、そしてたしか熊川哲也さんも映画出演されたし、西島さん、そしてゆうきみほさんも連続TVドラマの主役を演じていました。今は推理ドラマなどでTVで活躍している床島佳子さんも、もとはバレエダンサー、ミュージカルからそちらの方面に進んだのです。
 ミュージカルの舞台に関してですが、私の記憶している限りでも多くのバレエダンサーがたんに踊りの部分だけでなく、主要な役で出演しています。古くは『キャッツ』に堀内元さん、そして『回転木馬』には多くの男女ダンサーが出演、下村由理恵さんはこれで菊田一夫演劇賞を受賞されました。最近では西島、三木雄馬、中川賢さんが出演しています。振付まで含めたらきりがないでしょう。
●バレリーナの魅力を発揮した酒井はなさん
  酒井はなさんについては、彼女は前(07年)にも四季の『コンタクト』でゲスト出演しています。『コンタクト』では黄色いドレスの女という役でしたが、『アンデルセン』では当地(デンマーク)のロイヤル・バレエ団のプリマバレリーナでアンデルセンのあこがれの存在。踊り、せりふだけでなく、歌まで歌うのです。ちなみにその夫で相手役、ディレクターは松島勇気くん、谷桃子バレエ団で活躍していたのを覚えている方も多いでしょう。さらに付け加えると、今回劇中バレエ『人魚姫』を振り付けた坂本登喜彦さんも、かつてこの役を演じたことがあります。
 酒井はなさんは、なれないせりふや歌、しかも松島くんとのデュエット!によく挑戦して合格点。しかし、真価はやはりバレリーナとしての存在感です。街の雑踏のなかに登場するだけで輝いていました。若いアンデルセンが一目惚れしたのもムリからぬところ。坂本さん振付の『人魚姫』でも、短い作品ながら、劇中バレエとしての分かりやすく要領のよい振付のなか、その美しさと、人魚としての悲しさを十分に発揮していました。
  劇団四季では団の方針として、とくに大スターはつくらずに、出演者全員の総合力で、プロダクションとしての質の高さをめざしていると聞いたことがあります。たしかにロングランを続けるには多くの交代キャストが必要で、個人よりも作品そのもの、その舞台全体の安定したパフォーマンスが重要なのも理解できます。ただ、少なくともこの日の舞台では、酒井はなさんは間違いなくエトワール(スター)でした。バレエ界にこのようなスターがいることは大変嬉しいことですし、これがバレエそのものへの関心を高め、観客を増やすことにつながることを期待したいと思います。
 ぜひ、多くのダンサーが他の芸術分野やメディアで、バレエ、あるいはバレエ人としての魅力を十分に発揮してください。しかし、本籍はあくまでバレエで。もちろんモダンダンス、フラメンコなどのダンサーも同じです。多分、そうすることが、本人にとってもいろいろな面でいい経験になると思います。
●[音のしない靴が欲しい]
 もうひとつ、『アンデルセン』で感じたことがあります。アンデルセンは家が貧しい靴屋で、自分もそれを仕事にしていたのです。ところがお話しを作って聞かせるのが好きでそれで誤解され、生地にいられなくなり、大都会であるコペンハーゲンにやってきて、バレリーナと出会うのです(実際は父が亡くなってオペラ歌手になるために、ということらしいですが)。その時のシュチュエーションが、バレリーナが現在のトゥシュウズに不満があり、もっといいシューズでないと踊れないと、夫であるディレクターともめている、そこにアンデルセンが私が作りますと申し出たということなのです。
 この時の彼女の希望は「音のしないシューズ」でした。ただ、時代を厳密に考えると、アンデルセンが生まれたのが1805年、コペンハーゲンでバレリーナと出会ったのが物語のうえではせいぜい十代後半でしょうから1820年前後。最初にバレリーナが爪先で立ったのはマリー・タリオーニ(ちなみに彼女は1804年生)で、1932年パリのオペラ座での『ラ・シルフィード』において、といわれています。いずれにしてもこの技法が生まれたのが1820年から30年頃だろうと。
 微妙なタイミングです。もちろんこれは事実ではなく、あくまでジョン・ファーンレイさんなど3人の合本作者による創作ですから、このことをどうこういうわけではありません。むしろ、私は「シュウズの音がするのが不満だ」というバレリーナの意識を取り上げた原作に注目したいのです。つまり、バレエでは[爪先の音は好ましくない]のです。
 現在、トゥシュウズの製法、そして踊りの技法も随分進歩しているはずです。しかし、再三このページでも指摘しているように、海外の一流バレリーナのなかにもコトコトと音を立てて踊るダンサーが結構います。つまり、よほど爪先の使い方に注意しないと、音はしてしまうのです。多分、酒井はなさんもせりふで音のしない靴を求め、それがアンデルセンによって出来上がったという状況ですから、実際に踊るに際しては爪先の音について相当のプレッシャーがあったと思います。しかし彼女はきちんと踊りきりました。当然とはいえ、さすがですし、振付指導の坂本登喜彦さんの苦労も報いられたということになるでしょう。
 こんな見方も面白いのではないでしょうか。