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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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3月の公演より

日下 四郎 2014年3月27日

【THEATRE MOMENTS vol.21「おわりよければすべてよし」05/09日 at せんがわ劇場】

THEATRE MOMENTSが論評の対象としてこのコラムに登場するのは、決して初めてではなかったと記憶する。いわゆるコンテンポラリー・ダンス時代の到来とともに、モダンダンスの概念がうんと広まり、多彩な隣接ジャンルと言おうか、映像、音楽、言語、ITなど、その作風と構成にさまざまな多角の表現手段を取り入れるトレンドが生れた。中で〔珍しいキノコ舞踊団〕や〔かもねぎショット〕〔イデビアン・クルー〕などは、その中の演劇寄りのダンス集団として、しばしば話題に取り上げられてきた。1999年に佐川大輔と中原くれあが中心となって立ち上げたこのグループも、その表現・演出法において、やはり個性の強い身体パフォーミング・アーツ界の一角に違いなかった。

そのレパートリーをみると、「人形の家」「幸福な王子」「オセロ」「走れメロス」など、東西の文学作品を意欲的に取り上げているが、それらはみな原作のパロディというよりは、むしろ「原作はできるだけ尊重し、改訂は最低限にする」(プログラムシート)という佐川本人のノートにもあるように、身体と小道具だけを目いっぱいに活用しながら、いかに中身をリフレッシュして表現するかに狙いがある。今回のシェイクスピア劇も、2008年の初演は観ないが、それをさらに徹底して練り上げた改訂版だ。簡素に縫い上げた衣装(有島由生)の具象を除けば、あとはプレヤーの動きと群舞、長短さまざまな無数の白いテープの流用だけで、原作のかなり輻輳した人物の出入りを、おわりまで器用にこなして飽きさせない。

もちろんダンサー個々の表現力では、プロ級のレベルで魅せるほどのテクニックはないにしても、的を得た演出のリードによって動きのアンサンブルは上々で、パフォーミング・アーツとし完成度は高い。特におもしろかったのは、ラヴェルのボレロ曲を用いて挿入された〔王様の痔の手術〕の場面で、パロディとしてもこれまでに見た同種の創作中ではトップクラスに値する。品がないと言うなかれ、原作「All’s Well that Ends well」は、シェイクスピアの中でも珍しく、当時では当然秘め事であった筈のセックスを主題にして、赤裸々な男女のぶんどり合戦を露骨に展開するヘレナ姐ちゃんの奮闘譚なのです。

ただちょっと惜しいと思ったのは、全員が白テープの目隠し姿にされてバンバンザイとなるフィナーレは、見ようによってはウソと策略で事を運んでも、結果を得られればすべてよしとするどこかの国の政情を風刺している光景ともとれ、いっそその視点をもっと強調して作者のメッセージとすれば、あるいはこの1本、オリジナルに満ちた、みごとな原作翻案のアレゴリー作品になったのではないか。と、これは1観客の勝手な妄想と承知の上での蛇足。(7日マティネ所見)



【スタパフォOB会 「3.11春よ来い」 武元賀寿子 他一同 渋谷 公園通りクラシックス】

3月11日は言わずもがな3年前に起こった東日本大震災の厄日。メディアは言うに及ばず関連各所で式典や議論に湧いた1日だったが、舞踊界ではわずかにここ渋谷はジャンジャンの跡地に立つ〔公園通りクラシック〕で、武元賀寿子を先導とするスタパフォOB会が、2時間弱のダンス・ギャザリングを開いた。題して「3.11春よ来い」。

しかしもちろんこれは追悼やデモのためのプログラムではない。OB会というのは、かつて武元が2004年から06年にかけて、おなじ渋谷の松濤町の一画で、前後30回にわたって続けたスタジオパフォーマンスの歴史があり、それも当時ダンサーたちが随時それぞれ仲間に声を掛け合って行った会で、作風もインプロヴィゼーションが主流を占めたと言う。動機といいスタイルといい、いかにも武元らしいやり方だ。

そんなメンバーがやはり三々五々集まっての今回のパフォーマンス、略して《スタパフォ》の夕べである。楽しからざる筈はない。顔ぶれにはおなじみ岡庭秀之や山田茂樹をはじめ、加賀谷香、幸内未帆、武藤容子、庄子美紀、渡辺久美子らの面々が集まり、またスタッフであるピアノの清水一登や、美術の山尾文則も、最近ではすっかり武元美学の傘の下に定着、作品発表には欠かせない要員となっている。

さて、時間になるとアドリブでピアノが流れ、そこへ福島県富岡町の災害現場の大きな写真を載せた〔河北新報〕〔岩手日報〕〔福島民報〕3紙が、参集者一同に配られた。「これは、2011年ではなく、2014年の日本です」と見出しにある。だがここでみんなが黙祷をささげる、なんて野暮なことは始まらない。出演者ともども各自が記事を読み、折りたたみ、そしてフロアいっぱいに何枚ものページを並べて、おもむろに《スタパフォ》連中のダンスパフォーマンスは始まる。

トータル2時間近くにわたるこの「3.11春よ来い!」は、全体を2部に分け、いずれも多士済々の出演者たちが、それもピアニスト、楽器奏者、さらに美術、ヴォーカリストまでを巻き込み、スタジオ一杯を所せましとプレイして回る。しかしそれらは決して雑然とした唯の運動ではない。身体の流れを最優先する武元メソードの呼吸法に従い、ダンサーたちが相手の動きを“同調する”か“切り刻む”か、または“無視する”かの、いずれかのリレーションで、次々と流れが生み出していくのだ。

後半に入るとダンサーの動きはさらに活発化し、ハラハラするサーカス調のデュオ、天井から下げられたピンク色の布に逆さに挑むダンスなど、どこまでも観る者の眼を引き付けてやまない。この間正面の壁には、真ん中に《愛》の一字を書き込んだ日章旗が貼りつけられ、そばに書かれた筆字の警句には「がんばるな!ニッポン」とある。

このせまい地下の空間で演じられたこの身体パフォーマンスは、決して閉ざされた密室のダンス遊びなどではない。ここにはこの国が置かれた [いま・現在] の空気がしっかりと流れ込んでいる。真に現代舞踊の名に背かない、開かれた身体パフォーマンスの一例だと、はっきり言い放つことが出来るだろう。(11日所見)


今回は会場で例の架空客A,Bペアに行きあたらず、たまには欠席かと思っていた ら、帰りみちやはり駅へ向かう四つ角で、渋谷族に交じって信号待ちする2人を確認した。以下はその間に流れてきた彼女らの会話の断片;――

A「日の丸の旗に書かれた《愛》の一文字が、みんなの気持ちを代弁してたわネ」
B「でもその横に“がんばるな、ニッポン”ってあったでしょう。あれ何、反語?」
A「というよりむしろ直言よ、それもきわめて具体的な」
B「……」
A「つまりオリンピックだの、集団的自衛権だの、お国のために頑張るのは二の次ってこと。東北にはあの震災で仕事を失くした人、お家へ帰れない人が、まだいっぱいいる」
B「あ、そーか。虚勢を張った愛国主義じゃなくて、すぐ目の前の苦しんでいる人たちに、もっときめ細かい配慮をってことなのね。そのとおり!」



【ビントレー・バレエ 「シンフォニー・イン・スリームーヴメンツ」他新国立劇場 (中)】

Dビントレー芸術監督シーズンの掉尾を飾るプログラムの一つ、トリプル・ビルの夕べである。用意された作品は、ジェシカ・ラング「暗闇から解き放たれて」、ハンス・ファン・マーネン「大フーガ」そしてジョージ・バランシンの「シンフォニー・イン・スリームーヴメンツ」の3本。それぞれ30分ちょっとの作品だが、短編でもまず芸術監督としてのセンスの良さが伝わってくる。お化粧やファッションの話ではない。いま現在この劇場が持つ国立バレエ団の実力とキャリア、そして日本の顧客の鑑賞に応えた迫力十分のプログラミングである。

まずはトップの「暗やみから解き放たれて」。幕が上がると白色に輝くタイヤ状の円盤が10ケばかり、フロアいっぱいを覆ってディスプレイされている。よくみるとその下にはそれぞれ押しひしがれたように臥したダンサーたちの姿があり、やがて唸るような電子音をベースに、そこから順次立ちあがってくる。そしてそれ以後は、あがらう人間の身体と上下移動するオブジェの間での、行きつ戻りつの葛藤するダンス風景が、ソロやデュオ、群舞を交えて、張りつめたテンションの裡に展開する。

作者J・ラングはトワイラ・シャープの門下の由だが、ここには師の具体と娯楽性を一歩リードした、抽象の美と主題としてのメッセージが読み取れる。アメリカ産のコンテンポラリーの好例か。どこかにビントレー好みの振付の匂いもあり、あえて彼が日本初演として持ち込んだだけの価値は充分にある。

2本目のハンス・ファン・マーネンも、この国にはなじみが少ない作家。クラシカル・バレエを現代へ近づけた最初のオランダ人作家だが、それは作品の空間構成の点での評価であって、ダンサーにはあくまでも厳しいダンス・クラシックの熟達が要求される。その意味ではこの日の国立劇場キャスタたちには、(特に男性陣に)アンサンブルでの少々の乱れが散見され、その点が惜しかった。

その意味ではフィナーレに据えた「シンフォニー・イン・スリー・ムーヴメント」の出来には素晴らしいものがある。この曲名をあえて公演タイトルに持ってきたぐらいだから、よほど熱心に練習を重ね、完成度にも内心自信があったに違いない。表現と技術がほぼ勝負のすべてといえるバランシンの抽象バレエ。それを破調と乱律のストラヴィンスキーの3楽章ともども見事に踊りぬいた(ここで生演奏のプレイハウス・シアターオーケストラにも一礼:アレクセイ・バクラン指揮)。劇場所属のこのバレエ団の実力も、ついにここまできたかと、心中いささか感慨深いものがあった。(21日所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。