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ニュース・コラム

舞踊評論家・日下四郎氏の連載コラム「ダンスレビュー」

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8月の公演より

日下 四郎 2014年9月1日

【9-10日IMAバレエフェス 松崎バレエ「不思議の国のアリス」光が丘IMAホール】

バレエ教室が発展した形で、1966年代にスタートした松崎すみ子のバレエ団ピッコロ。その名称からしても、社団法人やバレエ協議会に所属する他の大きなバレエ団に比べると、いかにもこじんまりとした小グループの印象を与える。組織や規模の点では確かにそうだ。だが内実はむしろ逆で、小粒ながらピリリと効いた山椒のように、なかなかに個性の強い、ユニークな実演グループであると筆者はみる。

今からさかのぼることほぼ半世紀、そのデビュー公演の出しものは、サンケイホールでの「白雪姫」だが、このレパートリーの選択が、まずハナからこのバレエ団の特色を問わず語りに解き明かしている。主宰者であり、創作現場の当事者でもある松崎すみ子は言う「古典バレエにおいては、従来の作品をよりわかりやすく簡潔化し、創作舞踊においては、バレエ、モダンダンス、その他のジャンルを取り入れて、テンポよく楽しめる構成・振付の作品を目指す」と。

今回の「不思議の国のアリス」も、その意味でこのバレエ団の方針をしかと堅持した独自の企画であったとおもう。というのも実はこのバレエ団が「アリス」を初演したのは1972年であり、当時ウォルト・ディズニーのアニメションこそ広く世に知られてはいたものの、このイギリス文学の産物であるキャロル・リードの原作が、バレエとして世に送り出された例は、そのころにはまだ全くなかったのである。その意味では文字通り世界のプルミエ公演だったわけだ。いかにも松崎ピッコロならではのスピリットではないか。

その後1992年に実現したベルギーのバレエスクールとの合同公演など、何回かの再演に際して松崎は、その都度少しずつ演出と構成に手直しを加えている。しかしそれらを通して一貫しているのは、これをあくまでも子供の夢を軸とした、そして同時に大人も楽しめる融通無碍のバレエに仕立て上げることを目ざすその姿勢に、創作者としてのオリジナリティがしっかり見てとれる点がたのもしい。

その意味では、今から3年前の2011年になってようやく完成、日本へも来たイギリス本場のロイヤル・バレエ版「Alice’ s Adventures in Wonderland 」は、劇的構成を特色とする英国バレエの伝統と、原作のもつパロディや言葉遊びなどを、最先端の電子映像などを活用しての力作だったが、私にはなんだか「アリス」本来の世界である童心を置き去りにした大人のオモチャに仕上がっている印象を受けた。ただし今回のピッコロの公演が、アリス(西田佑子)にあこがれの青年(橋本直樹)を配して手直しを試みたのは、おそらくこのロイヤル版からヒントを得たかとおもわれるが、これは松崎版にある種の膨らみとストーリーの流れを与えた点で、うまく活用されていた。

ピッコロ(イタリア語の小さいpiccolo)を名乗るこのグループの名称は、まず芸術と面した時に抱く作り手の謙虚な気持ちを吐露している。それと同時にこのバレエ団の目指すところがあくまでもこどもたち(ピッコロ)にあり、彼らの世界に夢をあたえることにあるという、スタート時点の指標を堅固に表明していて興味深い。その点でバレエ団のレパートリが、古典や原作に適度のヒネリを加味しながら、大人たちをも巻き込んで充分に楽しませる創作性を目標にしている点 が、いかにも自由闊達でたのもしい。

ただ反対にダンサーたちの表現力から採点すれば、ゲストや中軸の顔ぶれ(小出顕太郎=ウサギ、菊沢和子=ハートの女王、小原孝司=王様)を除き、大勢で出演する子供たちの仕上げには、今一段のきびしい訓練と淘汰が欲しいと思われた。オーディションとかおさらい会的プロセスなど、完成に至るまでの雑多な事情や遠慮はあろうが、このクラスのレベルが今少し上達すれば、松崎独自のウイットや演出の効果が、なお一段と冴えたのではと、少々技術的なフィニッシュの点では惜しまれた。(10日マティネ所見)

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―例によってシアター・ゴアーであるA嬢とB嬢が交わしていたダンス雑話―

B:「バレエとダンスは全然別の芸術だと思っている人って、案外多いのよね」

A:「バレエの語源はイタリア語で“踊り”を意味するBALLOだから、その意味では全く同じものを言ってるわけ。つまり身体を通した感情表現の芸のことね」

B:「それをただゲルマン系の北方言語ではタンツ(ダンス)と呼び、バレエ系列では、P・ボーシャンなどがパやポジションの様式を細かく規定したことで、フランス王朝からロシアへ渡って、様式としての古典舞踊として完成をみた」

B:「それに対してダンスは、アメリカ人イサドラ・ダンカンがヨーロッパでフリー・ダンスを提唱、これが斯界に大きな影響を与えたんだわ」

A:「だから大別したらダンス芸術には技術的に言って、Dance ClassiqueとDance Moderneの2種しかないともいえる」

B:「それらがまた今では互いに混入し合って、コンテンポラリー・ダンスという新しい発想まで生まれているんだから、この身体芸術まだまだ将来的に期待が持てそう」



【プロジェクト直の第15回「DANCE夢洞楽2014」所感その雑色性の持つ意味】

「DANCE創世記」と並んで年1回の定期公演を続けてきたこのシリーズも、今回をもってはや第15回目を数えるという。それも〔プロジェクト直〕の名の下に、当初から単独個人のプロデュースでやり抜いてきた点が、他には見られない強い特色である。本欄でもこれまで随時言及して、その健闘をサポートしてきたつもりだが、今回並べられた14本の作品を観て、プロデュースの質面で少々これまでとは違った制作意図ないし結果を感じた。

そういえば昨年の公演は、あえて場所を成城学園ホールへ移して、ムード一新をにおわせたが、今年は再び会場をいつもの常打ち小屋である北沢ホールへ帰した。一方山本直プロデューサーは、この間に「成城ダンス・フェスティバル」という、この国の現代舞踊にとって、ある意味かなり重い意味を持つ年1回のシリーズを3年前にスタートさせている。そしてそこへ集めた顔ぶれは、それまで「DANCE創世記」に組み込んだ、いわば斯界での一線級の現役ダンサー連中であった。

そのせいか同一人物の手になるこの3つの年次企画は、「成城」「創世記」「夢洞楽」の順に、それぞれランクを一つづつ繰り上げ、これまで比較的に若いキャリアー組の場であった「DANCE夢洞楽」には、出演者の出自と作品枠に、これまでにない広がりと意図が出ている印象を受けた。具体的にはプログラムを3部に分け、はじめのパートは従来通り若手個性派の5本。この中で渡部倫子の「花」がセンスもよく、よく練り上げられていて秀逸だった。

続く中間パートは年齢的にはむしろシニア指向で、「原風景」(手柴孝子のソロ)のように、本人が公の舞台に出ること自体が珍しい例もあれば、また作風にもそれなりのヒネリを加えたA’小津多恵の「彼女たちの憂鬱」)、ドラマ風の構成による創作、小林祥子「ハイリゲンシュタットの遺書」などのように、これまでにはなかったシリーズの一面を挿入して加味した跡が見える。

パート3は一転して、フィナーレを除き、バレエ・テクニックだけをベースにして積みあげた作品集である。あきらかにトーンが違う。ただし締めくくりだけは、ムードを三転させて平多利恵の「青春VIVIT’S」を持ってきた。黒帽・赤衣のリーダーを軸に、8名の賑やかな若手ダンサーたちが乱舞、従来の「DANCE夢洞楽」らしいトーンをバラ撒いて幕を下ろす。

以上、技術的には未完でも、ことしのシリーズで顕著になったある種の雑色性は、現代舞踊が本来スタートラインで持ってもらいたい望ましいモデル風景だとも言える。洞楽=道楽のようにみえて、なかなかに考えぬかれた記念号としての舞台だったようだ。(22日マティネ所見)

日下四郎
日下四郎(Shiro Kusaka)
芸術文化論・ダンス批評・演出
 
本名:鵜飼宏明 京都市出身。
東京大学ドイツ文学科卒業後、東京放送(現TBS)へ入社、ラジオ・テレビのプロデューサーとして数々の番組を送り出す。1979報道制作部長職を経て退社、 故・三輝容子とダンス・シアター・キュービックを設立、13年間にわたりトータル・アッピール展の創作(台本・演出)にかかわる。90年代は淑徳短期大学、日本女子体育大学大学院にあって非常勤講師、主にドイツ表現主義芸術を論じた。現在はフリー・ランス。著書:「モダン・ダンス出航」「太陽と砂との対話」「竹久夢二」「現代舞踊がみえてくる」「東京大学学生演劇75年史」「ダンスの窓から」「ルドルフ・ラバン」(翻訳)など。他に、ビデオシリーズ「日本現代舞踊の流れ」(全6巻)の完成があり、その全テキスト・演出を担当した。